クレムリンの持つ組織風土

 久しぶりに藤村信(1924-2006)の本を取り出した。中日・東京新聞パリ特派員で、67年から亡くなるまで彼の地で取材を続けた。ソ連崩壊につながる異変が次々起きるが、彼はいつも的確な情報を届け、読むと胸にストンと落ちた。特にクレムリンの奥まで入り込んだかのような評論には説得力があった。クレムリンには最高権力者である書記長をめぐって、必ず二つの潮流ができ、そこをかき分けて真実にたどりつかねばならない。スターリン、フルシチョフ、ブレジネフなどだが、背後にはノーメンクラトゥーラと呼ばれる特権官僚たちがうごめいている。巨大な国家組織を管理するには無数のピラミッド組織を重ねるしかない。命令したことしかやるな、という徹底した官僚主義。ソ連が壊れて、ロシアに変わろうとも、この官僚体系の組織風土は変わらない。プーチンの権力が維持できているのも、この層をがっちりと握り続けているからだ。しかし、どんな権力でも永遠ということはない。どうもおかしいと感じたら、もうひとつの潮流がうごめきだし、必ず変わり目が来る。これが歴史の必然である。

 ロシアのウクライナ侵攻を聞いて、思い起こしたのは68年の「プラハの春」。東西冷戦の中、チェコの共産党第一書記長ドプチェクが「人間の顔をした社会主義」をスローガンに掲げ、自由を尊重する社会主義を目指すとした。ハンガリー動乱でソ連式共産主義に幻滅していた若者はすぐに飛びついた。当時、愛読していた「朝日ジャーナル」はこの動きを沸き立つように伝えた。時代は変わるかもしれないと期待は膨らんだ。しかし、わずか8か月でワルシャワ条約機構の軍事介入で幕を閉じた。この時、クレムリンに召喚されたドプチェクに対する屈辱的なノーメンクラトゥーラの対応が妙に記憶に残っている。小さな記事であったが、一国を代表する者に対して、まるで警察官が取り調べるような感じを伝えていた。ソ連と衛星国の際立った優劣である。

 さて、軍事侵攻に向けて練りに練られた「プーチン劇場」だが、やはりクレムリンの限界を見る思いがする。現実から遊離した危うさともいえる。ウクライナではロシアへの恐怖より、NATOへの加盟の方が根強い支持がある。ここで衛星国となって、いつ終わるかわからない抑圧を受けるより、いま犠牲を払ってでも抵抗した方がよいという判断。これが義勇兵の頑張りにつながっている。ベルリンの壁崩壊にたどりつくまでの抵抗の歴史が刻み込まれているのだ。この歴史に逆行するスターリン時代への郷愁にいまだにひたっている時代遅れのプーチンといわざるを得ない。歴史の地殻変動には誰も逆らえない。

 これは中国にもいえる。中南海にも共産党官僚がうごめいている。習近平が次なるプーチンになるかもしれない。専制主義のどうしようもない弱点は、この官僚機構にある。大衆の思いが届かない。大きな時代のうねりが見えていない。さりとて、自由陣営が優れているといっているのではない。大きな歴史観をもってないと、やっていけないのだ。

 いいたくないが、安倍―プーチンの27回にわたる交渉記録を公開してほしい。北方領土に日米安保を適用し、ミサイルを持ち込むなというプーチンの主張にどう答えていたのだ。核共有論を持ち出すのなら、安倍よ、チェルノブイリの荒野にひとり立ってみろといいたい。

© 2024 ゆずりは通信