「鵜の祭」

縁というものを大事にしている。とりわけこの年齢になると、たゆたうように縁をたぐりよせるような行動となる。3月22日石川県立音楽堂邦楽ホールにちょっとワクワクしながら出向いた。
 免疫学の泰斗にして、能の新作にも取り組んだ亡き多田富雄さんとの金沢の縁は、見知らぬ能の世界へと導いてくれた大事な縁の糸である。その彼が10年前に「私は最近、もう一つの阿修羅像とも言うべきものを見た。それは天平仏とは程遠い、森山開次のコンテンポラリーダンスである。現在最も注目される才能あるダンサーである」と紹介したのである。いつかは見たいと思っていたが、石川県立音楽堂が企画してくれた。3月の演しもの広告の中に森山開次の名を見つけたのだ。おーそういえば、と覚束ない記憶回路が動き出した。金沢が初演の舞台である。
 能登は羽咋の気多大社に伝わる神事・鵜祭に題材を取った創作舞台で、森山開次が演出、振り付けを行った。新嘗祭の一環で、毎年12月16日午前3時ごろ神前で鵜様と呼ばれる鵜を放ち、その動きで新年の豊凶を占う。鵜は鵜捕部(うとりべ)という世襲の家によって年ごとに捕獲される習いで、どこでどのような方法で捕るかは秘事となっている。
 舞台のしつらいは老松を描いた鏡板を背景にした能舞台で、左にチェロ、ヴァイオリン、右に三味線、鼓、竜笛が控えている。ということは、キーマンは音楽監修をした笠松泰洋である。この神事から想像力をめぐらし、ダンス曲となるべく五線譜に落としていく作業をしたのだ。雅楽、能、歌舞伎、長唄などの要素に加え、西洋音楽も入れなければならない。笠松の経歴だが、60年の福井生まれ。中3で作曲家になろうと思い、三善晃の弟子を目指して東大文学部美学芸術学科に入学している。ピアノはゴールドベルク山根美代子に師事したとあるが、ひょっとして立山国際ホテルでレッスンを受けていたのかと思うと急に親近感が沸いてきた。蜷川幸雄演出の「ハムレット」の作曲を手がけ、演劇、映画などとの作曲で高い評価を得るようになっている。
 さて、踊り手のダンサーだが、森山含めて6人が鵜をイメージしたコスチュームで縦横に駆け巡り、客席にも踊り込んだ。女子高生2人とダンスの先生3人の組み合わせだが、短時間の手ほどきで合わせるのが大変だったと思う。終幕では、2本の和ろうそくの灯火が磨き抜かれた銅鏡に映り、籠から解放された開次の鵜は漆黒の海の彼方に飛び立っていく。眼を凝らさないと見えない動きだが、身体のシルエットは蝋燭の灯に辛うじて映し出され、幻想的なシーンとして見る者のまぶたに焼き付けられていく。多田さんの表現を借りれば、「身体の思索性は彼の繊細な筋肉で極限の人間性として結晶した」「内面に深く沈潜した彼のダンスが、生きることの不条理と悔恨を表現したとすれば、阿修羅の改心と近いところにある」となる。不思議な感覚であった。
 気になったのは観客の少なさである。入場料2500円の設定が平凡なものと錯覚させたのでは、それとも公立施設ゆえの営業意欲の乏しさか、と詮索してみた。東京の新国立劇場であれば、5000円での複数回公演が完売しているだろうと、いらぬ皮算用までしていた。しかし、空回りにしても、金沢文化人の心意気は賞賛されていい。
 また、こんなことも付言しておきたい。気多大社には折口信夫と藤井春洋の墓がある。折口信夫は柳田國男の弟子であり、民俗学、国文学に通じ、釈迢空(しゃく ちょうくう)と号した歌人でもある。藤井は折口に弟子入りし、18年間も折口に遣えたのだが同性愛の関係であった。藤井が戦地に赴き戦死するのだが、養子縁組で父子とし、藤井家が気多大社の宮司筋にあたるところから墓と詩碑が建立されている。

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