母の実家解体

 昨年の暮れ、ふと思い立って新湊・奈呉町で空き家になっている母の実家を訪ねた。戦後韓国から引き揚げてきたわが一家5人が、取り敢えず落ち着く先はここしかなかった。24坪余りの漁師町特有の細長い町屋で、奥に土蔵があった。周りを歩くと、その土蔵がちょっとした刺激で崩壊しそうに見えた。その時、いま手を付けないとダメだろう、そして手を付けるとしたら、お前しかないだろう。それが亡き母からの啓示のように聞こえた。

 12月11日、高岡法務局に出かけた。登記は明治40年(1907)10月15日、釣與平。母の祖父である。ここから相続人を特定していかなければならない。自分でやれないこともないが、法務局が素人相手だと嫌な顔をするし、何度も出直しとなる。地元の司法書士に依頼する。予想を超える料金だが、やむを得ない。その結果、10名が法定相続人として特定された。母は7人兄妹だが、兄と弟を戦争で亡くしている。この二人の戦死が空き家につながったことは間違いない。そんなことを思いつつ、相続放棄する旨の証明書を送付した。

 そして、訪ねたのが射水市建設住宅課市街地整備班。初めてのケースで、ありがたい話だと懇切な対応である。ざっと取り壊しに100万、隣家と接しているので地元の慣習として外壁は取り壊し側の負担で50万円程度とほのめかし、業者も紹介するという。年が明けて、業者との交渉に入れたのが5月連休明け。これが倍額を超えるものとなった。大きな原因は廃棄物処理費が4月から30%近く高騰したこと。処分地は限られ、より高い医療廃棄物などを優先するようになり、人件費の高騰である。わが空き家は建て坪44坪、単価4万円で176万円、これに不用品処分と土蔵の加算が加わった。仏壇・神棚の魂抜きはどうするといわれ、お寺を介在させないで、近親者だけで思い出話を交えながら、心を込めて行った。

 隣家の外壁だが、今までお世話になってきたのでぞんざいにはできない。あいさつに出向き、そちらの信頼できる業者にまかせたいと申し出た。この家に連なってきた親族の矜持とでもいおうか、しっかりけじめをつけることが親孝行という思いである。8月16日に解体工事完了報告が送付できた。

 とはいえ、先立つものをどう工面するかが決め手である。幸いなことに、まだ現役で金型製作でしっかり仕事をしている従弟がいた。90歳を超える叔母さんは認知症を患ってはいるが健在で、実家にはお世話になったので十分に協力しなさいということで、気持ちよく分担の話ができた。恐らく、この機会を逸したら、相続人も増えて、放置するしかないだろうと思う。

 さて、総論である。まず行政の市街地整備班だが、戦後密集して建てられた漁師の町屋を再生しようと再開発に挑んでいる。3階建ての市営住宅を建て、そこへの移住だと解体は行政負担としている。東日本震災でも経験したことだが、その相続権含めた権利調整に職員は忙殺されている。解体は個人住宅に限らず、公共の学校などにも及んでおり、その予算が膨らみ、新規の公共事業を絞らざるを得ない状況となっている。個人レベルはもっと深刻である。今回の場合も更地にしても、買い手はいない。隣家に無料でと話をしたが、即座に断られた。そこで解体業者に課税価格の半分でいいから、責任をもって引き取ってほしいと押し込んだ。7月末に買い手が見つかった。こんな地域の状況で、果たして解体に手を付けようという人がいるだろうか。また登記変更を義務付けしても司法書士の手数料を払ってまで、相続する価値のある不動産はそう多いとは思えない。誰も手を出さなくなり、廃屋は全国いたるところで、増え続けるだろう。

 ここはやはり政治の出番である。政権の思惑に振り回されるだけでなく、まっすぐ国民の苦衷に手を指し伸ばすべきである。

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