二度めの結婚

スーパー内のクリーニング屋でのやりとり。「このワイシャツ、私のではないぞ。誰かのと取り間違えてない」「そんなことないです。番号は合っています。いつもぼんやりなさっているから、ワイシャツ買ったことも忘れておられるんですよ」。ここまでいわれて切り返せない。というのは、先日、三度目、いや四度目の事件があった。「また、ズボンの後ポケットに現金が忘れてありましたよ。それも1万2千円。この前はワイシャツでしてけどね」。「単身赴任ですか。奥さんこんなこと知ったら、驚かれるでしょうね」。余計なお世話だ、そんな現金くれてやるわい!と啖呵を切りたいところだけど、いや、ありがとうと笑顔で返してしまう。そして、これはラッキーと、寿司屋でいっぱいぐらいできるか、ということになる。

どうしてこんなことが起きるかといえば、用心深さに起因する。物忘れがひどくなると自己防衛せざるを得ない。飲み会のメンバーから判断する。飲みすぎるなと思うと、財布、カード、免許証は持っていかない。ポケットに現金だけを突っ込んでいく。帰宅してワイシャツ、ズボンを洗濯籠にぶち込んでおく。週末にクリーニング屋にそのまま持ち込み、かくなる結末になるのである。

この洗濯屋のおばさん、悪い人ではない。しかしこうした些細?なことで、こちらの人格、尊厳までも蔑んでしまう。この手の女性は、ずかずかと男の気持ちに乗り込んでくる。こちらは顔では笑っているが相当に傷つくのである。うすらぼんやりか、それもそうだなと落ち込む。

そんなことを飲み友達と話していると、「もうそろそろやせ我慢をやめて、再婚したらどうだ」となる。「虎のいる国と、税金を取り立てる国とどちらが怖いか」とそんな諺があるだろうと切り返す。「お前は女性恐怖症か」と一蹴した飲み友達が、最近では「そうだよな」と妙に納得する。これもさみしいが、家庭内で逆転した力関係がほのみえる。

日本人は結婚をこわがりすぎている、というのが「二度めの結婚」の著者・亀山早苗。ご本人も離婚経験がある。「結婚してくれないなら、私は死ぬ」と押し切って、彼を独占したはずであった。そのはずがはずではなかったのである。そんな錯覚もなければ、結婚なんてできるわけでもあるまいと思うが、そこから離婚して、また求め始めるエネルギーは女性だからこそ。パートナーに求める女性の意識がどんどん変化しているのに、男性の意識が変わらず、そしてみんな同じようで大差がない。それがうまく“つがい”になれない理由のひとつだと、男性を断罪する。人生二度結婚説を唱えたご仁もいたが賛成である。息苦しそうにせず、一度離れてみるのもいいかもしれない。しかし何でも話せるからといって、それでコミュニケーションが取れているというものでもない。暗くて深い溝があるのだ。えんやこら、今夜も船を出そうという、そのエネルギーが男には不足しているようだ。

ネスコとう出版社から出ている。1600円。聞きなれない社名だが、文芸春秋本社の8階にあり、文春では扱えない軽いものをやっている。

つまらないことで時間が過ぎていく中で、イラクで犠牲者が出た。その後の政府対応を見ていると、相当追い込まれているが踏ん張りどころと考えているようだ。ここは何が何でも自衛隊を派遣し、戦後政治を思い切って変えていく。小泉は時代錯誤の殉国者めいた使命感に酔っているようだ。これだけ連続して、狙いを定めたことが続けばテロではない。戦争が継続しているのである。そうなると、泥沼化しつつある中で、派遣しても際限のない派遣になりかねない。テロに屈するわけに行かないとすれば、テロが続く限り駐留し続けねばならないことになる。国民も、あれも怖い、これも怖いと逃げ回るのはよくない。派遣しないリスクをきちんと取りきる、派遣した場合は理不尽なリスクもあるのだということをはっきりさせよう。

安全なところに行ったのだが、残念です。日本にいても交通事故や、無差別な殺人に遭うこともあるのですから。こんな福田の愚弄した会見にうなずく、うすらぼんやり国民といわれないために。

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