野狐禅

オランダという国を見直した。確かにサモアでは、自衛隊のすぐそばで、軍事的貢献をしてくれているが、イラクの話ではない。性の先進性のことだ。売春も、同性愛者の結婚も認めているが、それだけにはとどまっていない。例えば、刑務所。受刑者がパートナーと会って、セックスをするための個室が用意されており、パートナーでなくとも、売春婦を呼ぶことも出来る。その延長にある障害者の性についても、理解を示し、36の自治体が彼らのセックスのために助成金を出している。生きる権利の中に、「性」も当然含めようとする試みである。性に対するおおらかさと独特のヒューマニズム。キリスト教カルバン派の影響だという。
 「セックスボランティア」(新潮社。税別1500円)。74年生まれの河合香織の初々しいルポ。初めての単行本だ。週刊朝日でテーマのきっかけをつかみ、オランダルポは「婦人公論」編集部の働きかけ、そして新潮社が一冊にまとめないかと持ちかけた。本の題名だけで注文すると、出版社にもありませんというから、初版は即完売しているはず。それから1ヵ月半を経て、届いた本の扉には「5刷」とあるから3万部くらいに届いているかもしれない。背後に中年淫ら派、セックス未練派の潜在需要をかぎつけたのであろうか。
ライターの河合は、自分自身の性の彷徨というように、ペンも、心も揺れ動いている。最初の取材が竹田芳蔵、69歳。脳性まひ、歩行不能、気管切開により酸素吸入器常時使用及び言語障害。50歳にして初めて、池袋の風俗店で女性に触れた。酸素ボンベを外しての命がけの行為。筆談でいう。「いき は くるしい おっぱいに こどものように むしゃぶりつくのが すき」。酸素ボンベがなくては死んでしまうリスクもあるでしょう。「そのとき は そのとき せい は いきる こんぽん やめるわけ にはいかない」。障害者年金をやりくりして、年に1回正月か誕生日に、ソープランドへ行くことが生きがいになっている。ところがオランダでは「月に3回年36回、セックスするお金を市役所からもらっています」となる。相手は、SAR(ひとりで性欲を処理できない障害者に有料で派遣する団体)から派遣を受けるときもあるし、売春婦を利用するときも。もちろん障害者施設に来訪してもらう。
 時代はここまで来ているのだ。そんなこと知りたくない、見たくないという健常者の都合のよい常識では済まなくなっている。そして、自分は健常者だと思いがちな人間に、ひょっとして障害者かもしれないと思わせるのが「性」である。性は鏡の役割をはたし、みんな同じ人間だと思わせる。
 そんなところに「新潮」8月号に面白い小説があるという。「自殺未遂。妻の出奔。薬物依存。貧窮。生活保護を受ける作家のつぶやく声」というもの。私小説だから、ほぼ現実。著者の岡田睦は、たぶん最年長の私小説作家。ガスもないアパート暮らし、お茶も飲めないが、毎日開店前からスーパーやコンビニに行って食事を調達。でも暗くないし、読んでいてつらくない。ライフラインは一日300円程度の食費。ライフスタイルはとにかく話を取り散らかし、込み入らない。「この¬(こと)、いずれ」で片付けて、次々と饒舌が続く。文士の日記を独り身になって意識的に書くようになる。これが長ったらしく、無駄なフレーズが多い。ここで出て来るのが野狐禅(やこぜん)。禅を学び、まだ蘊奥を究めないのに、自ら悟道にはいったと自負するもの。自嘲気味に、野狐禅だと承知で、私小説隠者を気取る。鰥夫、「やもお」と呼ぶ。妻のない男をいう。恥ずかしながら、知らなかった。
 この岡田先輩、週刊新潮の「黒い報告書」をアルバイトで書いたことがあるという。地方紙の事件を、特に濡れ場を念入りに加えてフイクションに仕立て上げたもの。岡田先輩と河合香織の組み合わせで、あっけらかんとしたセックスものができないかとふと思った次第。
 さあ諸君!こうした雑然、混沌、滅茶苦茶、不潔を嫌ってはならない。逃げ出す先に待ち受けているのがファシズムなのだ。厳格、厳密、超清潔、超優性はそこに通じている。安心をおもわせるファシズムが待ち受けていることを忘れないでおこう。不安に耐える「その¬、いずれ」を身につけるのだ。

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