歌占

「昨年12月26日に夫が他界しました。勤務地のフランスで肺ガンを発病し、その後日本に戻り、復帰を夢見ながら、あきらめず、弱音を吐かず、そして別れの日に?楽しかったよ?の言葉を残して天国に旅立ちました。お酒と本と仕事を愛して、駆け抜けていった人生でしたが、男らしく生きた夫を誇りに思っております」。植田征二君の訃報だ。
 高校同期会の案内状を受けとっての幸子夫人から返信である。彼とは中学、高校も一緒であった。特別親しいというわけでもなかったが、富山市内の製材所を営む家に遊びにでかけたし、赤倉に泊りがけでスキーにも。東北大学工学部を出て、豊田自動織機に勤務していること聞き、地味で堅実な性格から、トヨタの社風にぴったりだなと思っていた。聞いてみると、同社の取締役をし、フランスの合弁会社を担当していたらしい。夫人のいう通り、富山気質、トヨタの質実剛健、加えて高度成長の時代の波、まして自動車産業、これらの波長が妙に合い過ぎての駆け抜けだったのだろう。次男坊の気楽さも加速させたに違いない。わが世代の典型を生きたともいえる、よしとすべき人生だ。同期生のいい分も「そんな年になったのだな」と、衝撃の中にも諦観が見てとれる。
 先にも話した(?211)多田富雄さんがあの重篤な病状の中、詩集「歌占」を出した。凄まじい生き様である。命余さずに使い切ろうという強い意志を更に感じさせる。「そこは死の世界なんかじゃない 生きてそれを見たのだ 死ぬことなんかた易い 生きたままこれを見なければならぬ よく見ておけ 地獄はここだ 遠いところにあるわけではない ここなのだ 君だっていけるところなのだ 老人はこういい捨てて呆然として帰っていった」(歌占の一説)。免疫学者の詩魂は、脳梗塞が襲い掛かり、言葉が一切発しられなくなってよみがえった。音のない詩がやさしく訪れるという。そんな時は覚えておいて、家に帰ったらすぐにワープロに向かう。言葉は逃げやすいから、長く手元に留まらない。行ってしまうと復元できない。しかし、復元できないもどかしさをわずらうこともない。新しい自分がうまれているのだから、自分の記憶が掬い上げるものだけを言葉にすればいいのである。「歌占」とは、伊勢の神官、度会(わたらい)の某(なにがし)は頓死して三日目によみがえる。白髪の預言者となって、歌占いで未来を予言し、死んでみてきた地獄のことをクセ舞いに謡い舞う。果ては、狂乱して神がかりとなり、神の懲罰を受ける。そんなストーリーの能狂言の演しものである。神がかり多田富雄の詩は、時に狂乱し、時に静かな諧調を奏でる。「この宇宙はおれが引き当てた運命なのだ」。
 どうも神なるものは、死さえ容易に与えない時もあるらしい。われらが同世代の諦観も底の浅いものならば、乗り切っていけそうにはない。企業を離れ、家族とも離れ、新たな連帯、地平、境地を切り開けるかどうか。 
 さてお盆であるが、いい経験をした。長男夫婦プラス孫の帰省である。2泊3日で、わが家に滞在したのは30分間のみ。気の重さを引きずって、こんな幸せな機会を台無しにしてはならない。双方ハッピーにしようとすべて外泊とした。ズボラやもめの悪知恵である。宇奈月温泉で合流し、長男夫婦をトロッコ電車ででかけさせ、10ヶ月の孫と4時間過ごすことに挑戦した。二人きりだ。お茶、ミルク、せんべい、おもちゃ、紙おむつ。これらを駆使していかに遊ぶか。1時間は何とか過ぎた。そのうちにむずかり出した。おもちゃは投げ出す、お茶は哺乳瓶とも放り出す。オムツに手をやっても濡れてる気配はない。どうした、どうしたとオロオロする。時間の長いこと、長いこと。ほとほと手を焼いたところで、せんべいを口に含ませ、お茶を口にあてると、眠たそうな素振り。この機会を逸してなるものかと、必死に子守唄を。ようやく眠ってくれて愁眉をひらいた。
 ホテルの支配人に、ベビーシッターを置いたらどうかと、訳知り顔で進言したのはいうまでもない。

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