「ぼくは挑戦人」

 85年生まれの35歳。京都府宇治市ウトロ地区で育った在日3世。小学生の時、自殺したいと思うほどのいじめを受けるも、あのヨーヨーを得意とすることでくぐり抜けた。平仮名で「ちゃんへん」と名乗るジャグリングのプロパフォーマーだ。ジャグリングとは複数の物を投げたり、操ったりする曲芸。その半生を綴ったのが「ぼくは挑戦人」。富山市・ブックスなかだ掛尾店に1冊売れ残っていた。ホーム社刊の1800円。読む前に彼の曲芸を映像で見たが、生きているんだ、というメッセージを感じた。

 老人の脳裏には、10年前に京都朝鮮第一初級学校に乗り込み、「北朝鮮のスパイ養成機関」「朝鮮学校を日本からたたき出せ」などと怒号を浴びせかけた右翼のヘイトデモがこびりついている。関東大震災のあの虐殺とかわらない現実ではないか。どう立ち向かうと逡巡する老人に、哀れみ不要とちゃんへんは応えている。生きるというほとばしりで現実を動かしていくしかないのだ。

まずは、祇園でクラブのママをしている彼の母親の啖呵だ。「わしらはな、朝鮮人でおまけに母子家庭や。今まで散々なめられてきたけど、わしは絶対負けへんで」と息子にいい聞かせ、怒鳴り込んだ校長室。「あんた、ほんまにいじめなくなると思ってんの?」。しどろもどろの校長に「お前、学校のトップやったら子供たちにいじめよりおもろいもん教えたれ!」と一言。

 わが愚息も愛読した「コロコロコミック」の懸賞で当たったハイパーヨーヨーがちゃんへんの人生を変えていく。小学校を卒業する時にはステージで大喝采を浴びる腕前になる。その後ジャグリングと出会い、日々の練習を積み重ね、半年後には地元のイベントに出演する名物少年。中3の時、おもちゃ屋の店長にサンフランシスコのパフォーマンスコンテストに参加しないかと持ち掛けられる。母親は同意するが、担任は期末テストの前日だぞと反対する。こちらは人生を掛けているんだと、この親子は乗り越える。しかしパスポート取得で韓国籍を選ばざるを得ず、在日の複雑さを初めて経験する。そんなこともあったが、この米国の大会で優勝すると、新たなステージが開ける。米国資本主義の懐の深さだ。パフォーマーとして売り出したいという経営コンサルタントが出現し、契約し、世界各国での巡業につながっていく。9.11テロをパレスチナから見ると、まったく様相が違う。そんな深い見方も身に付くようになっている。

 この出版を働きかけたのは、ノンフィクション作家の木村元彦。わが同年生まれの異才・原一男映画監督の疾走プロダクションで学んで独立し、オシムなどサッカー関連の著作が多い。ぜひ、読みたいと思っているのが「無冠、されど至強=東京朝鮮高校サッカー部と金明植の時代」。木村の思いがわかってもらえるだろう。

 また、フォトジャーナリストの安田菜津紀がこの本の評を帯に書いている。「向かい風へと走り続けたら、身近に触れる幸せにたどり着いていた。生き方を強烈に問いながらも、じんわり温かい、壮大な旅の軌跡がここにある」。彼女の父親も在日で、新橋でうなぎ屋を営んでいた。中2の時に亡くなるのだが、在日だと告げることはなかった。小さい時、絵本を読むのに詰まることがあり、お父さん日本人ではないみたいと心ない言葉を吐いたのを悔いている。

 さて、森発言で揺れる東京五輪だが、日本人よ、もうそろそろ目を覚ましたらどうだろう。世界の人権感覚は、国家の主権さえ超えている。主権免除で韓国の裁判は日本に及ばないという鎖国主義では、アジアで、世界で取り残されていくしかない。

 

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