すべてが廃虚に

布団の上げ下ろしをしていると、ふすま紙がペロンとめくれてしまった。糊が乾ききって、押さえ切れなくなったのと紙の制度疲労である。築25年なのだとつくづく思い知らされた。天井を見上げると、クロスの糊部分が川筋を撫でたように、くっきりと見えている。畳も何となくぶよぶよしている感じだ。思い切って、実家が懇意にしている大工の棟梁に来てもらった。どういうわけか、10歳年長の姉も同乗してやってきた。玄関脇の破れ障子、孫達が面白がって指を突き出したのだが、これを見て開口一番。「近所の人に恥ずかしくないがけ。しばらく来んかったけど、なんちゅうひどい家け、すぐ直され!」と一喝するではないか。「俺ひとりだし、そんな不自由でもないし」といい返したが、とにかくやってしまわれ!と一蹴されてしまった。
 家中の畳と障子が持ち去られ、今は丸裸状態の家に住んでいる。散歩している人が、むしろ見ては悪いと、視線を避けるようにしてくれている。ふと、あと何年生きるのだろうかと思う、もし20年とすれば取り壊し費用も準備しておかねばならないのか、と慄然とする。200年住宅というが、後継者とメンテを考えるとうんざりする。賃貸の集合住宅こそ高齢化社会に似つかわしいと思うようになった。
 建築家・磯崎新が大分美術館で「廃虚からの出発」展をやっているが、逆説としてすべての建造物は廃虚に帰着してしまうということだ。磯崎が、恩師である丹下健三に挑戦して敗れた東京都庁もそうではないか。壮大なゴシック建築が廃虚となるのも時間の問題だ。使いにくさとメンテ費用の膨大さに頭を痛めているらしいが、磯崎がコンペに勝っていたとしても、生き永らえれば都庁の廃虚を見なければならない。建築家こそ廃虚になることをイメージして、設計すべきではないかと思う。
 さて、話題は喧しいグリーン・ニューディールに飛ぶ。100年に一度という大不況を立て直す切り札だ、とオバマはいう。麻生日本は、低炭素社会を目指すと追随する。補助金やら、エコクーポンやら、ここぞとばかりだ。ここのところ出番がなかった通産省も動き出している。産業構造の転換を狼少年のように叫び続けて、その都度天下りポストを確保してきた同省が、目先を変えるだけの二番煎じ、三番煎じの政策を性懲りもなく、やっているように映る。太陽光発電普及拡大センターである。俄仕立てで設立され、全国で「ソーラータウンミーティング」を開催、補助金交付申請を受け付けるという。「ニッポンのすべての屋根に太陽光発電を!」とまでいわれると、いい加減にしろといいたくなる。西田敏行が屋根の上で踊りながら「屋根持っているかい?」と呼びかける朝日ソーラーを思い出すからだ。わが家にも20年位前になるだろうが、太陽光による温水器が屋根の上にデーンと乗っかっていた。近所でも、なるほどと思われる家がそうであった。数年前の屋根の葺き直しの時、憎っくきこの野郎と引きちぎったが、効果など微々たるもので、エコファッションであった。太陽光発電では27日、積水ハウスが独自の値引き策を発表した。200万円の3KW標準装置が半額になるとしたが、決め手にはならない。政府がようやく踏み切った10年間の固定価格買い取り制度も拡大につながらない。個人住宅のそれは無理と断言できる。電力9社体制で、送電網を独占し、安定的な経営を約束されたこの分野で、新エネルギーの技術や事業者が参入することは所詮無理である。米欧に較べて、政府の取り組みは鈍く、掛け声だけだということを国民が一番感じている。ひたむきな政策訴えで、なるほどとうなずける何かがなければ、国民は動かない。
 余談だが、朝日ソーラーの猛烈な売り込みが、トヨタを動かしたことがある。事の是非を問わず、その販売能力を頼もしいと思った住宅関連のトヨタホームが96年、朝日ソーラーと合弁で住宅販売会社を設立したのだ。当時ホーッと誰もが驚いた。わずか1年後に、強引な売込みに対する苦情から、国民生活センターが朝日ソーラーの社名を公表し、合弁を解消したが、トヨタの見識が疑われた。
 景気対策は財政の大盤振る舞いではなく、廃虚とならない設計のイメージを提供することである。北陸新幹線の工事も進むが、廃虚になった時のイメージがもうダブって見えてくる。

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