「死を前に書く、ということ」

最後の光芒を放つように言葉がきらめく。自問自答の、自分ひとりだけの言葉でもある。昨年12月亡くなった文芸批評家・秋山駿が書きとめたノートだ(講談社刊)。公団住宅に住む83歳は自ら死を選び取っていた。前年に自転車がぶつかってきて頭を打ち、体は急激に不自由になった。慢性硬膜下血腫で緊急手術、加えて食道がんとも診断された。秋山はがんの治療については一切行わないと意思表示、入退院を繰り返したが最後は点滴も拒否し、自宅に帰り鎮痛剤も用いなかった。餓死を自ら選んだ、ともいう。<わたしくらいの年齢になると、「餓死」がもっとも楽な死に方だと感じられる。何しろ、生きるための努力、ということを止めて、何もしないで居ればいいのだから>。かく逝くのも選択肢としたい。
 最晩年のノートは綴られる。<こんな生を、生き続けることに何の意味があるのか?(教えてくれ)とわたしも問う。だが、誰に向かって、何処に向かって、問うのか><外出。一歩、一歩、杖ついて、「命」が歩いている>。帯状疱疹に苦しむ妻の傍らにいて<「痛い、痛い」の声を、6年間毎日聴いていると、この「痛い」の前では、すべてが空しい、と思うようになってきた>。最後の執筆である<朝が来た。静謐であった。その一幅の絵のようなものを、抱きしめてもいいような心持ち、を味わった>。
 更に、珠玉を紹介したい。ひどい記憶の亡失に悩まされているので、昔魅惑された本を読み返すことにした。まずは、中原中也訳の「ランボオ詩集」。こんなに溌剌とした青春があったのか、青春とは本来こんなふうに、日々新しく生きようとする命の清新な迸りなのだ、と感嘆した。詩の一行が、人生の宿題になることがある。われかくに手を拍く・・(中原中也「悲しき朝」)。詩の最終行であるが、この「手を拍く」のところ、どう読んだらいいのか、解からなかった。むろん、すぐに「拍手」を思い、だから「たたく」と読むのかと思ったが、違和感が生じた。詩の流れとして、その最後で「手をたたいている」中原のイメージなど、浮かび上がってこないし、語感としても「たたく」では、微妙に響きが「粗い」という気がした。もしかすると、「招く」あるいは「拱(こまね)く」の書き間違いではないか、と思ったりした。その違和感が思いがけずに晴れることになった。磯田道史「江戸備忘録」にある育児の項である。「あゆみといひて歩行すること」、次に「まず教るに拍手といふ事をなさしむるなり」、理由として「小児にまず拍手をおしゆる事は、礼をおしゆるの初めにて、ふるき遺法なりべし」と説く。こうして秋山は「手を拍く」と記す中原のイメージを感得した。文芸批評家とは、かくも深い理解の域に達しなければならないのだ。
 彼の人生観を支えているのは「石ころ」である。文化というと、「貴族の文化」ばかりである。私は、気に入らない。わたしは、石ころ同然の身である。石ころには、石ころの文化が有って、しかるべきではないか。石ころには、無数の傷を受けての、繊細さ、がある。繊細さ、の方が、優美さより、大切なものだ。バックナンバー409「信長」は秋山の歴史を見る眼である。できれば読み返してほしい。
 はてさて、意を尽くして話しても、聞く耳を持たない。どのように論破しても、反発するだけで決して受け入れない。一方で、その反発する居丈高、を格好いいと支持する世論がある。民主党・岡田克也の国会予算委での質問中に、野次を飛ばし、「あなたはわかっていない」と支離滅裂答弁で傲慢さのみが際立つアベクン。はがゆさ、悔しさが交錯する日々だ。それでも、石ころの繊細さを旗印に、杖をついてでも歩くしかあるまい。

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