「祈りの大地」前編

46億年の歴史を空から撮る。世界の辺境を歩き、祈りを通して、人間の内面世界を追う。この2つをライフワークとしている。将棋の棋士を目指しながらカメラマンに転じた石川梵(いしかわ・ぼん)だが、東日本大震災と世界を駆け巡った取材を交互に織り交ぜて書いている。60年生まれの54歳。どこにも属していないフリーランスだからできる奔放な取材、真実が心地よく響き、迫ってくる。40億年前のプレートテクトニクスと偶然にできた命の誕生、その地球時間で考えれば、その大変動の真っただ中の惑星に生きているという視点が説得力ともなっている。「祈りの大地」(岩波書店)だが、快男児の快著である。3.11が、あらためてよみがえってくる。
 彼の生い立ちから始めよう。母子家庭の長男で、妹がふたりいる。母親の期待を感じつつ大分の進学校に進むが、将棋の面白さの虜になってしまう。高校を中退して上京、関根8段の門下生となる。2年半を過ぎた頃、ふらっと入った新宿の映画館で「2001年宇宙の旅」を見て、衝撃を受ける。将棋の才能に不安を感じていたこともあり、写真家になろうと決意する。壮大な地球というフィールドで、未知の世界を撮りまくってみたい、そんな衝動であった。将棋仲間からの餞別でプロ用の高級一眼レフを買って、バイトをしながら夜間の写真学校に通い、航空写真の会社に就職する。富山の学校空撮では、空から見る日本海の景色にも心魅かれた。母親がいつも「あなたはすごいものを持っている」と才能を認める育て方をし続けてくれたことが、妙な自信となってこんな転身を支えた。
 この会社では学校が相手なので、夏に長期の休みが取れた。それを利用してインドを旅する。わずか2週間の旅であったが、インドの絶望的な貧困と喧騒の中で、たくましく生きる人々の姿に圧倒され、もっと旅をしたい、もっと未知なものに触れたいという気持ちは更に高まっていった。
 23歳になった時に、従軍カメラマン沢田教一の影響もあり、アフガニスタンの反政府側リーダーの了解を得て、戦場に赴いたのが海外取材の皮切りである。少年兵士の「イシカワ、お前は後ろの方を歩け」の掛け声に、こんな小さな少年の中にもしみ込んでいるイスラムに殉じる男たちの強さを見て取った。
 帰国してからも、地雷除けになってくれた少年兵のことが忘れられない。信仰と生活が分かちがたく生きる人々を理解するためには、宗教というものをもっと深く理解しなければならないと思い立ち、それには東京よりは京都だろうと、京都に移住する。そこで神社仏閣の撮影をしながら、仕事を探していたところ、伊勢新聞が写真記者を募集しているのを知る。早速アフガンの写真を手に面接をうけたところ、そこの社長は伊勢神宮を撮って本にしないかという話になり、願ってもないもないと引き受け、伊勢に住まいまでも移した。何と2年間も伊勢神宮に取り組んだのである。この息の長さこそ、彼の真骨頂なのである。
 2011年3月11日午後2時46分、石川は地下鉄・麹町駅のホームで電車を待っていた。あたふたと時間が過ぎて行くのにやきもきしながらも、自分のやることはこの東北の現場を空から撮ることではないか、とすぐに思い至り、セスナの手配をするべく電話をかけていた。もちろん旧知の週刊誌のグラビア担当に電話をかけ、取材をサポートしてくれるよう売り込むことも忘れていない。フリーランスの才覚である。(後編に続く)

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