教師に寄り添っていこう!

改革といいつつ、似て非なる現実と成り果てる。これにピタリと当て嵌まるのが教育改革と称するものである。加えて、こんな友情が味付けとなって進行するとなれば、ますます暗然とするしかない。
 橋下・大阪市長と中原徹・大阪府立和泉高校校長だ。早大法学部の同期で共に弁護士だが、橋下の働きかけで、中原は弁護士職を辞して全国最年少の高校長ポストについた。3月2日の和泉高校の卒業式だが、中原校長は教頭に国歌斉唱で教師が本当に歌っているかどうか、口元をチェックするように指示した。そして歌っていなかったと認めた教師ひとりを府教委に報告したのである。橋下はここぞとばかりに「ここまで徹底していかなければなりません」と市役所幹部と府教育委員にメールを送った。薄ら寒くなる友情の光景といえばいいのか、言葉がない。児戯に等しい薄っぺらな交友である。こんなことで、公教育が改善されると誰が思うだろうか。問題の根源は、戦後民主主義を苦々しく思う勢力の要請を受けた政治家、文部官僚、それに従う教委によってゆがめられてきた教育政策にある。これを諸悪の根源は日教組や現場の教員にあるとして、理不尽な締め付け策を改革と称してきたのだ。改革政策はすべて改悪策だった。
 朝日新聞が連載した「いま、先生は」(岩波書店)から、その現実を垣間見てみると胸が痛む。徹底した管理強化の連続である。校長を頂点に副校長、主幹,主任教諭、教諭の昇格ピラミッド、給与と連動する教員評価、10年ごとの免許更新制、これに加えて、指導要領の厳格な実施要請だ。学習定着度状況調査では何点以上の生徒を何割以上にするというものから、山のような書類提出で「子供と接するよりパソコンと接している」状態で、とても子供と触れ合う余裕などない。
 教師達がこうした管理で分断されて、誰も助けてくれない、誰も話しさえ聞いてくれない、全てが自己責任で個人の能力と片付けられていく。その行き着く先は、早期退職、うつなどの精神疾患、最悪は自殺などで、凍りついた職場となっていった。
 大阪に焦点にあてた「大阪府教育基本条例の悪夢」(世界4月号)も紹介しておかねばならない。公教育が崩壊し、この国と社会が朽ちていく、とまで論じる中嶋哲彦・名大大学院教授の告発だ。
 この条例は、知事に教育環境整備権と教育目標設定権を与え、知事―府教委―校長―教職員の上命下服の目標管理システムの構築である。教師を奴隷労働に貶めて教育しろ、といっているに等しい。また府教委についても中嶋教授の目は厳しい。生野照子府教委・委員長は「もっと悠々たる度量でご検討を」と辞職したが騙されてはいない。知事介入に抵抗すると見せかけて、学校・教職員や市町村教委に対する自らの支配体制を守ろうとしているだけではないかと指摘する。府教委が起草したものは、徹底的に抵抗し戦うというよりは、強権の執行機関の頂点に立って、まるで府教委が強権をオブラートで包み込むようなものとなっている。教育改革を、独裁を肯定する政治家の力に頼るものだはなく、もちろん現状温存でもない、学習と教育の自律的な空間または関係性を構築していかなければならない。選挙で勝ったからといって、すべてに白紙委任したわけではない。橋下維新の会の思いあがりを許してはならない、と締めくくる。
 さて、どうするかだ。下校時に立つ安全パトロール隊の老人達が、学校に中に入るべきである。とにかく教師の手足になることだ。簡単な文章作成、連絡事項、家庭訪問の付き添い、モンスターペアレント対策などなど、口は出さないがそっと、やさしく悩める教師達に寄り添うことから始めたい。どうだろうか。

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