モルグ

浪々の身であっても、一日があっという間に過ぎていく。高等遊民とか、時間がたっぷり使えて幸せですね、と揶揄されるが、さにあらず。ある人いわく、1年が経つスピードは、年齢分の1なのだそうだ。ということは60歳だから、生まれた時と比べると60倍の速度で時間が過ぎていっていることになる。かなり煮詰まった時間を生きているといっていい。それにしても、つまらぬことで時間を浪費しているものだ。
 同じせりふが40年前にも記されていた。昭和39年4月20日に始まる日記1冊が出てきたのである。大学に入学した直後で、少し落ち着き、書き出したものらしい。5月24日新宿の寿司屋で、早速高校の同級生で集まっている。会費500円、各自ビール1本。そのあとアサヒビアホール、焼き鳥屋に行く、とある。いまに変わらない生活を18歳からやっているのだ。すべての根源はわが怠惰にあり、何という優柔不断と自らを責めてもいる。これも今と同じだ。いわれて見れば、時間の過ぎ行く早さは、今の3分の1といっていいような気がする。加えて、ひとり住まい。外食にするか、あるもので済ますか。掃除はとにかく先延ばし。失恋に次ぐ失恋などなど。年金があの頃の仕送りと考えれば、何ということはない、あの頃に回帰していることになる。育英予備校の片山浄見理事長に会った時、60歳で入学が可能かと聞いたところ、あなたなら授業料無料でいいと答えてくれた。年金が加算される63歳時に、東大法学部入学という夢想も不可能ではない。
 さて現実に戻ろう、その司法である。「9日横浜事件の判決。無罪だと思います」と確信めいたはがきを1週間前にもらっていた。入善在住の奥田淳爾元洗足学園魚津短大教授からである。まさかの免訴である。がっかりと憤りの表情が目に浮かぶ。
 また、北日本放送が社内勉強資料パンフ「モルグ」にも、再審での無罪、でっち上げの判決を期待する論が書かれている。事件の舞台は、富山は朝日町泊。証拠とする記念写真は1泊目の「紋左」だが、翌日は「三笑楼」にも泊まっている。そこの亭主、おかみ、舟遊びの船頭、芸者衆、料理人にいたるまで拷問に近い取調べを受けたが、誰しも耐え抜いた。もともとありもしないことだったから当然だが、誘導尋問にひっかかるインテリも多い中で、地元の庶民が示した反骨ぶりは見上げたものである。
 それにしても横浜地裁・松尾昭一裁判長の逃げの判断は許せない。同じ「モルグ」に「裁判しない裁判官」論がある。「日本司法の逆説~最高裁事務局の“裁判しない裁判官”たち」(西川伸一著 五月書房)から、司法行政官僚による裁判への見えざる関与を取り上げている。裁判しない裁判官が裁判する裁判官の上に君臨し、昇格,任地をエサに巧みにゆがめており、これに迎合する上だけを見るヒラメ裁判官が輩出されているという。モルグはこの判決を予見していたのかもしれない。因みにモルグは死体置き場の意だ。
 更に加えよう。戦前にこの横浜事件を担当した八並裁判長は「裁判官は悪法といえども守らなければならない。ぼくは当時の情勢としては、治安維持法もやむを得なかったと思う。国家の秩序を維持するためには仕方がない。廃止はアメリカさんにやめさせられたので、悪法というわけではない」と戦後のインタビューに答えている。この時77歳、企業の顧問弁護士をしていたという。戦後の司法制度はこの体質を残したまま維持されている。検察への親和性をもつ日本の裁判制度では、今に続く検察官僚もこれに呼応しているともいえる。
 横浜事件で唯ひとりの女性被害者に加えた松下警部の拷問は凄惨を極めたものだった。拷問を行った30人の特高警察官のうち、たった3人だけが実刑判決を受けたに過ぎない。
 韓国は曲がりなりにも、歴史の検証をしっかり行おうとしているのに、歴史の暗部との対面を怖がり、逃げようとしているわが日本。日朝協議に迫力を欠くのも、こんな大事なことをおろそかにしていることに起因している。
 わが青春にも厳しい検証作業を行わなければなるまい。二度目の青春とはいわせないわよ、このノー天気め!

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