居酒屋亭主始末記

「お待たせ!見習い亭主なら、うまくいけばただ酒の了見は捨ててもらいたい。気風のいいところを見せ合う、いわば男伊達を競う場を提供しようというもの。来たれ!現金払い、非暴力、無抵抗、ノーといえないの客たちよ!」。これが居酒屋亭主見習修業開始のお知らせ。送ったのが11月末で、12月6日が初日であった。店の規模はカウンター7席に、4人程度の小上がり。マスターと厨房担当の女性に、この見習が加わる体制だ。  
 暖簾掛けぐらいは自分でやろうと開店1時間前に店入りした。この場合の足はやはりタクシー。車中で、さりげなく夜のホステス出勤事情も聞いてみる。保育所に子どもを預けてからが多いという。帰りは眠り込んだ子どもを抱えて乗り込む。タクシー代に保育代ということになれば、かなりきつい。余談ながら、和倉温泉の加賀屋は仲居さん専用の保育所を持っており、サービス料がすべて仲居さんの収入ということで、幼子を抱えた未亡人や、離婚者にとって格好の就職口と聞いたことがある。最近、少子高齢化対策の切り札になっているのが事業所内の保育施設。これからは大規模な事業所には義務付けされるかもしれない。おっと本題に戻ろう。
 「おはようございます」。午後4時でも、これが夜商売での常識。そのくらいは心得ている。暖簾を掛け終わるや否や、やって来てくれるではないか。かっての先輩達である。人情まだまだ捨てたものではない。もちろん年金生活で、あんなDMでもうれしいという孤独な人達でもある。小上がりに5人を押し込む。売り上げ増にはこの小上がりの2回転が決め手と踏んでいた。午後8時にガラス工房の予約が入っており、この先輩連中は1時間半もあれば酔眼朦朧だから、大丈夫とほくそ笑んだ。団塊世代向けの早め入店サービスも必要かもしれない。
 カウンターだが、これは仕事帰りとなるから7時からぼちぼちということになる。しかし、電車時間までの短時間客が多い。やってきてくれたのは後輩連中。気が置けないのをいいことに、明日に残しちゃならない料理を無理に注文させてしまい、お釣りはいらないだろうと暴力舎弟居酒屋になってしまった。
 「おい、見習い。ここにきて呑め」と先輩。「生ビールを待っているのですが」と後輩。「先程のつまみ、追加を」と女性。予想外に疲れる。9時からは席に加わり、呑むことにしたが、酒は呑めても、つまみが頼めない。空きっ腹にまた効くのである。これでは後片付けが手伝えず、お先に失礼となってしまった。わずか5日間の修業であったが、ほぼ同様であった。のべ72人が来店、売り上げは34万円となった。
 さて、結論だ。居酒屋亭主失格である。なまじ経営者の視点からはいるから、いいところを店側に見せようと、客を追い求め過ぎた。ノルマ達成のサラリーマン根性が抜け切っていない自分で驚いた。生来の下品なのだ。とてもとてもリピート客が絶えない、愛される店とはならない、と悟った次第である。
いいところは、カウンター越しとはいえ、これ程多くの人と話ができたことである。こんな機会があったからこそ、という人も多かった。
 劇作家で評論家でもある山崎正和が「社交する人間―ホモ・ソシアビリス」を著している。社交にはグローバル社会をも貫くほどの力があるという。それは個々人の心と心がネットワーキングするからで、功利性や合理的なもの超えて、人の心が最も強い力を発揮する。分かりあえる、喜びを共有できる、他人に認められるといった欲求がいかに強いかということを指摘している。
 社交する場をどこに求めるか、でもある。その前に、企業や家庭などの組織から自立していることが大前提である。愚痴をいい合うのを社交するとはいわない。
 英語しか通用しない居酒屋をやってみたいという人もいた。そんな人の出現を待ち望んで、居酒屋亭主失格宣言とする。

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