「家庭のような病院を」

予期はしていたのだが、現実に通告?を受けてみると、暗然としてくる。わが両親のことである。昨年の介護認定で、両人とも要介護4となった。96歳の父の方が、口数も少なくなり、こちらが挙げる固有名詞に反応する程度で、対話にならなくなった。93歳の母は、記憶はまだ大丈夫だが、先日椅子から転び落ちたようで股関節にひびが入った。しばらくは車椅子となったが、歩行器に戻っている。こうした事故の時は、寸刻を争う時は救急車となり、様子を見ようということであれば家族が対応することになっている。入所して2年半、父の心筋梗塞という大ピンチはあったが、ゆるやかにダウンしているといっていい。しかし、これは家族の主観的なものに過ぎない。
 4月1日のことだ。帰りにちょっとお寄りくださいと、ホーム長に呼びかけられた。現在のグループホームでは限界にきており、特別養護老人ホーム等へ移行してほしいとの申し入れである。難題に顔をゆがめるしかなかった。難題とは、夫婦同時入所を前提にしていることだ。父は母がいないと、パニック状態になってしまうのである。このグループホームは新規の開設であったので、2室同時に確保できるという幸運があった。ほとんどが個室ユニットとなっている現状では、同時入所は至難といわざるを得ない。
この時、療養型病院で2ベッドの部屋があるがどうですか、と勧められた。脳裏をかすめたのは、父が心筋梗塞で入院した時の光景である。点滴の管を引きちぎるのを防ぐ抑制帯であり、車椅子にしばりつける繋ぎ服である。一挙に認知症が進んでしまった。そんなこともあり、長男である自分の目で確かめてみる、と返した。翌日その病院を訪ねたのだが、不安を解消するものではなかった。その場で断ることにした。
さて特別養護老人ホームである。3ヶ所をまわったが、100人以上待機してもらっている状態は同じで、ふたり同時とはとてもとても無理。形式上申し込みを受けとっておきます、という体である。特養の入居判定は、要介護度、家族状況等から在宅では無理なのかどうか、ケアマネの意見書などで点数化されていて、それぞれの入居委員会にかけられる。介護4以上でないと無理で、現在施設入居も低い点数となっている。ある特養で、1部屋にふたり入居はどうか、と県に申請してみたが一蹴されてしまったという。特例は認めないということもあるが、介護保険の抑制が強く働いている。
 難問を抱えたままの模索は続くのだが、まだいい方だと思う。すぐに動ける家族をもつ高齢者は少ない。施設探し、煩雑な書類記入などを押し付けられたら、ほとんどはギブアップだ。介護保険で介護を受ける権利放棄につながりかねない。行政にもう一歩踏み込むことを望むが、公正を建前に動かない。権利としての介護を確実なものにするために、有料でもいいから、NPO福祉110番こそ必要と痛感した。さてどうしたものか、悩みは深い。こうした悩みを持つ人の多いことを思い、個人としてよりも、施策として解決させるよう働きかけを積極的にやっていこうと考えている。
 こんな私事を書き連ねてきたが、ひとつお願いがある。いまやわが盟友となった佐藤伸彦医師が文藝春秋から、本を出版した。「家庭のような病院を~人生の最終章をあったかい空間で~」。定価は1400円+税70円。4月8日発売なので、もう店頭に並んでいる。富山県内では、入口近くにほぼ平積みになっているので手にとってほしい。そしてぜひ、購入してもらいたい。小さな試みがいま、始まろうとしている。その支援と考えてほしい。
 医療、介護両保険の抑制策は常軌を逸しつつあり、当事者は悲鳴を挙げている。そんな現状をぜひ知ってほしい。厚生省の机上論から、市民主導の現場重視の視点に変えていかねばならない。「がんばらない」の鎌田実・諏訪中央病院名誉院長もこう主張している。「医療をよくするには、医療費をOECD加盟国の平均並みまで、2~3兆円増やす必要がある」。道路特定財源論争から、大きく福祉医療の問題をクローズアップさせる絶好のチャンスであると思う。

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