「弔辞」

きょうは炭坑節でいこう。施設にいる97歳の母を週2回訪れるのだが、それなりの話題を用意して、出かけることにしている。母に歌う子守唄ならぬ民謡である。秋の気配漂う砺波・庄川路を走ると、地蔵盆の飾りとのぼりがいたるところで見受けるようになった。そういえば、昭和30年前後だから小学生の頃である。夏休みの終り近い8月23・24日は楽しみであった。地蔵さんの前にやぐらが組まれ、盛大な地蔵盆祭りが催された。やぐらを囲む盆踊りの定番が炭坑節であった。「月が出た出た、月が出た、三池炭鉱の上に出た、よいよい・・」。誰でもすぐに踊られる振り付けで、老若男女が踊りの輪に吸い込まれた。街中が子供たちであふれかえり、大歓声を挙げていた。
 部屋に入ると、案の定である。母は手拍子を取り、歌いだした。脳の奥深くに潜む記憶をたぐり出せるかどうか、週2回の賭けごと勝負で、今回はしてやったりの訪問だった。
 さて、お盆向けの出版であろうか、手詰まりの中でしぼりだされたような新書である。「弔辞 劇的な人生に送る言葉」(文春新書)。月刊文春からの抜粋で、安上がり手抜き新書と思ったが、「山本義隆から今井澄へ 君はあくまで、東大全共闘の今井澄である」が載っている。仕方がないか、とレジまで運ぶことにした。葬儀不要といっているが、弔辞、弔文などは意外な交友や、人となりが見えてきていいものである。
 弔辞は女性のものは余りいただけない。感情が出過ぎて言葉が空回りする例が多い。そこへいくと、柳家小三治が柳家小さんを送るあいさつがいい。「ほんとは、こんなことを申し上げていいのかどうかわかりませんが、私はこういうことに慣れていないので、下手なので、感じたことだけしか言いませんが、みごとなお骨でございました。ほんとにゴツゴツゴリゴリして、太くて、かけらにならない。あのままスープが取れそうな立派なお骨でございました。それが、我々の慕ってきた柳家小さんの最後の姿になりました」。
 小松政夫から植木等もいい。小松は植木の付け人である。あの「お呼びでない?」のエピソードだが、シャボン玉ホリデーの生放送中、小松が誤ったタイミングで「出番です」と伝えてしまい、舞台に出た植木が咄嗟に発したものだという。これを植木が小松が作り出した絶妙のギャグだと、あらゆるところで付け人の自分を絶賛してくれたという謝意を述べている。植木の心優しい一面で、ほろっとさせられた。
 渡辺淳一から城山三郎へ。これも軟派から硬派へだが、どんな付き合いがあったのだとなる。文春の講演旅行がきっかけで、個人的なアメリカ旅行にも一緒している。渡辺の女性失敗談を微笑みながら聞いていたという。一方新田次郎とは全くそりが合わず、ヨーロッパ旅行中、一言も言葉を交わさなかった。妥協できない硬骨、偏屈な城山らしさにも触れている。「そうか もう君はいないのか」で語った最愛の容子夫人を失って憔悴している城山に、見合いの写真を渡辺が持参する。しばし眺めていて「この人、君のお古じゃないの」と聞かれて、仰天したエピソードを添えている。「海外に行くときだけ、一緒に行ってくれる女がいるといいのだけど」といわれて、渡辺が「そんな都合のいい女はいませんよ」と一蹴する。一度茅ヶ崎で城山に会っているだけに、表情までも思い出されて、さもありなんと思わず微笑んでしまった。
 最後にやはりこれを挙げておかねばならない。タモリが赤塚不二夫に捧げた「私はあなたの作品のひとつです」。これに尽きる。
 いま弔辞を頼まれているのがひとりで、お前の好きなようになんでも言ってくれといわれている。往々にして、逆になるケースがあるから、これだけはわからないことだが。

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