非武装中立と脱原発

「米国の核の傘に守られながら、しかも日米原子力共同体に身を置きながら、日本は脱原発を選択できると考えるのか」。ワシントンのエネルギー専門家の鋭い問いに、窮地に追い込まれる。一方で、福島第一原発の放射能まみれの瓦礫、メルトダウンした核燃料の処理はどうするのだ、とこれまた重いフクシマが想起され、選択肢は他にあろうはずがないだろうと思い直してみる。どんな選択にしろ、深い洞察と今後の展開での構想力が求められていることは間違いない。しかも日本の隅々までそれが浸透していなければならない。本当の実力が問われる、後戻りのできない選択といえる。その只中にいるのだ。
 寺島実郎が、峻厳な国際環境を説きつつ、原子力の基盤技術の維持存続論を世界6月号で問うている。自らの構想力に自信があるからだろう。戦後日本の心象風景を象徴する鉄腕アトムから書き出している。手塚治虫は鉄腕アトムを、10万馬力のヒト型原子力ロボットとし、原子力平和利用のシンボルにしたという。寺島の主張には、手塚に代表される日本人の深い知力、創造力、強い意思をもってすれば、原子力もコントロールできるという思いがある。また原発に依存し続ける国家が他に存在する以上、われ関せずと見過ごすことはできないとする国際貢献の自負でもある。日本人をおいてこれに優る技術蓄積、今後の研究開発、指導できる人材は他にいないと判断している。
しばらく耳を傾けたい。戦後日本の原子力の歴史は、米国の原子力政策受容の歴史である。68年に日米原子力協定によって、30万トンの原子燃料を受け入れることを義務付けられ、54基の原発は米国型の原発を保有する国となった。軍事的には米国の傘に、民生用の原子力発電においては米原子力産業の市場として機能してきた。
しかしスリーマイル島の事故から33年間、米は1基の原発も新設できなかった。その間に東芝がウェスチングハウスを買収、日立がGEと合弁、三菱重工は仏アレバと共同開発を目指すなど、いつしか日本の原発3社が原子力産業の主役となった。いま米国は原子力ルネッサンスとして、現有の103基の原発更新、リライセンスする計画を発表しているが、東芝、日立、三菱重工、原子炉圧力容器のシェア80%を持つ日本製鋼所などの協力なしにはやっていけない状況となっている。そう世界からも見られているのだ。
寺島は三つの選択肢を提起している。ひとつは米国の核の傘を出て、脱原発を目指す。ふたつは米国の核の傘に留まって、脱原発を目指す。
そして、もう一つは核の傘の段階的相対化とそのための原子力の基盤技術の維持・蓄積を目指す。これが寺島の主張で、日本の技術を生かしてグローバル・ガバナンスに貢献していく。わが国の原発をすべて国策統合会社に統括し、国際社会の不信を排除しつつ、技術情報などで、すべてに開かれた原発を目指すといっている。原発大国への道をひた走る中国の存在も、また韓国も21基に増設7基を予定、原発輸出にも積極的である。原発鎖国ではなく、技術協力の手立てこそが日本に残された道だといっている。さらに脱原発論議は「非武装中立論」に通じる虚弱さを感じるととどめを指している。果たしてどうだろうか。
さて老人だが、原発内部を縦横に張り巡らす配管と、その天文学的な継ぎ目の数に不信を持っている。どんな精緻な機械も不用意な手作業のミスで破綻してしまう。そして、監視労働の非人間性だ、目を凝らす緊張に何年も堪えれるわけがない。何よりも差別を強いるしかない原発労働者の絶望的な労働は、人間として認められるものではない。寅さんが原発で働く、そんな現場を想像しているのだ。ねじ釘の一本くらいいいだろう、が目に見えるではないか。二日酔いでも、寝ぼけていても何とかなる職場こそ人間的といえる。
 寺島の主張は確かに説得力を持つが、虚弱といわれても非武装中立、脱原発でもやっていける日本社会を構築 するしかないだろう。
参照/「中国 原発大国への道」(岩波ブックレット)

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