「和解のために」

2015年春、ソウルにある世宗(セジョン)大学構内を、朴裕河(パク ユハ)教授とにこやかに話しながら歩く70歳とおぼしき日本人がいた。「ようやく念願かないましたね」「ありがとうございます。落ち着いたら一緒に食事でもしましょう」。たどたどしいハングルながら、初々しい表情である。ところが、アパートをルームシェアする女子学生を求めているという図々しさも合わせ持つ。この男、学力が遠く及ばず入学資格に達していなかったが、朴教授に何度も手紙を送り、推薦にて1年間の聴講が認められた。大学名は、李氏朝鮮第4代国王・世宗に由来する。在位中の15世紀に、固有の言語ハングルを制定し、「訓民正音」として普及させ、最も優れた王といわれている。
 夢物語はさておき、映画「靖国」上映の相次ぐ辞退騒動は、やりきれない。いつまで愚かな対立を続けるのか、対立をあおり続けるのか。70歳で韓国留学を目指す、ハングル老学徒としては(といっても落ちこぼれラジオ講座生に過ぎないのだが)一言申し述べたい。
 朝鮮植民者を父母にもって生まれ、そのうえ戦後高度成長の果実のみを享受し、ぬるま湯につかるような60年余の人生に喝を入れるとすれば、朝鮮の人々に向き合える歴史認識をもって、彼の地に逗留するしかあるまい、という結論に至った。
 そんなきっかけを与えてくれたのが、朴教授の「和解のために」(平凡社)だ。教科書、慰安婦、靖国、独島と難題を取り上げている。これは韓国内の読者に向けてハングルで書かれた日本語版である。韓国知識人による大胆な自国批判の書で、いわば「親日」が排除される昨今の韓国ナショナリズムに抗して出された勇気ある書といっていい。大佛(おさらぎ)次郎論壇賞受賞の席で、「日本理解が甘すぎると批判されましたが、戦後日本への信頼をこの本で表しました」ときっぱり。この書に応えて、何をなすべきか、草の根から真剣に考えていかなければならない。それくらいの心意気を示すべきであろう。
 和解があるとすれば、それは被害者の側の赦しからしか始まらない。フランスの哲学者デリダのいう「赦す力」を引用して、謝罪を見届けてから赦すのではなく、赦しが先。それだからこそ、過去の「真実」について、より自由に語ることができる。これが彼女の到達した信念である。
 韓国の国立墓地を挙げて、靖国と対比している。殉国烈士と護国の英霊が眠る民族の聖域とするのは靖国と変わらない。李承晩や朴正煕も、「忠勲」ゾーンでその治績が強調され、否定的なものには口をつぐんでいる。自国批判はベトナムへの軍隊派遣に及ぶ。遠い異国でベトナム人をどれだけ殺傷したか、さらにはベトナムの少女をどれほど強姦したかについて、国立墓地も戦争記念館も沈黙を続けている、と。
 まさか、靖国参拝派はそれにつけこんで、どこの国もそうなんだ、と居直るほど品性下劣でもあるまい。ここはよく考えて見抜くべきである。護国精神のどこかに論のすり替えがあるということ。国に殉じる崇高な精神と犠牲的な行動の影に、被害者と加害者が見え隠れするが、それをはっきり自覚することで、見抜けるはずである。危機にあたって、ことの是非を考えず、国家のためにすべてを捧げよ、と国民を手なずけようとするのは誰か、だ。そして、植民地支配であれ、侵略戦争であれ、拉致であれ、国家が行えば、すべて免罪されていく。その本質も見て取らなければならない。
 稲田朋美議員よ、聞いているか。自分に都合のよい、誇らしいものだけのために文化庁予算を使うべきだとする論はどうだろう。靖国をあがめるよう、またわれら国民を手なずけるための文化庁予算でもあるまい。
 朴教授からのメッセージをいま一度。「被害者の示すべき度量と、加害者の身につけるべき慎みが出会うとき、はじめて和解が可能になるはずである」。
参照/「『拉致』異論」(河出文庫 太田昌国著)。「殖民地朝鮮の日本人」(岩波新書 高崎宗司著)

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