「アルジェの戦い」

40年ぶりに記憶がよみがえった。映画「アルジェの戦い」。あなたはこの映画を見たことがあるだろうか。1967年の作品である。「アルジェリアの同胞よ。130年にわたる惨めな植民地支配から脱却し、独立を求めて戦う時がやってきた。フランス当局が我が国民の平等の権利を認めるのなら、我々も流血を避け、名誉ある話し合いを求める。アルジェリア国民よ、自由の為に共に戦おう!」 。空から降り注ぐように容赦なく爆弾を落とす戦闘機、それに反撃するような爆弾テロ。フランス警察による陰謀、連行、拷問。民族解放闘争の凄まじさに、軟弱な思想ではついていけないと怖気づいてしまい、新宿の映画館を出ても、しばらくは口もきけなかった。アメリカ国防省でイラク侵攻前にこの上映会が開かれたという話だ。
 北欧へ出かける準備で、どの本をバッグに入れるかで随分迷った。重過ぎず軽過ぎず、と決めたのが、「越境の時 1960年代と在日」(集英社新書)。著者は鈴木道彦獨協大学名誉教授。プルーストの「失われた時を求めて」全13巻を、96年から01年の5年をかけて翻訳したフランス文学者、この訳業で読売文学賞を受賞している。フランス文学の研究者でありながら、なぜ在日朝鮮人の問題に、これほど真剣に取り組むのか。アルジェリア独立戦争(54~62)から語り始めている。
 54年、この独立戦争と時を同じくして、彼は政府給費留学生としてパリに向かった。その頃のパリは、サルトルを中心として、知識人が最も生き生きとしていた時代でもあった。60年に発表された「121人宣言」は、この戦争における不服従の権利に関するもの。フランス人の良心による大胆不敵な非国民宣言でもあり、植民地主義に決別すべきだという強い決意にサルトル、ボーヴォワールなど121人が賛同した。数日の間に、その数は250人となり、国内外の世論形成に大きな影響を与えた。
 鈴木はパリの学生街にあって、民族の責任について考える。「良い植民者がおり、その他に性悪な殖民者がいるというようなことは真実ではない。植民者がいる、それだけのことだ」(サルトル)。「アルジェリアは遠くない」という文を書いたときに頭にあったのは、旧植民地・朝鮮であり、それ以上に在日朝鮮人の存在だったという。
 具体的には小松川事件と金嬉老事件にコミットしていく。両事件とも在日朝鮮人の殺人事件である。前者は2人の女性を殺害し、死刑判決を受け、刑は執行されている。後者はヤクザ2人を殺し、寸又峡の旅館に人質を取り込んで、ダイナマイトを腹に巻いて篭城した事件である。結論としては、詩人である金時鐘の言を借りて、こんな視点を導き出している。在日朝鮮人の主体ということ。『自分の不幸の一切が日本人によってもたらされている』という論調を批判した上で、「自分をこうあらしめたのは外部だけでなく、それを受動的に受け止めた自分自身にもあるんだというこころまで意識がいってほしい」とし、それが「朝鮮に行きつく行為である」だ、と。
 金嬉老公判対策委員会で鈴木の苦労したことを挙げておきたい。どんな運動もこうした点で躓くからだ。委員会で討論し、まとめていくのはいい。しかし、現実には事務所の維持や通信・会計などの仕事がある。専従者を置くのもいい、僅かばかりのアルバイト料で拘束し、その能力の無さをあげつらうことになりかねない。そこにもう差別が、格差が生じている。そこを乗り越えようとした鈴木道雄の感性に、惜しみない拍手を送りたい。知的な作業と肉体的な作業の差も理解し、自分の役割を見定め、必要とされる自分の仕事を選ぶということを、幾分かでも実現できたという。自発的な組織ゆえに全体を見通すことも可能だったとも。
 小さな組織ゆえの危うさを理解したうえで、各々の任務を気持ちよくこなしていく。そんな分かりきったようなことが、どんな運動を進めるにあたっても、いかに必要かということだ。権力に抵抗するには、こうした組織が不可欠だということを肝に銘じていてほしい。

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