「記者と国家」

 国家権力とペン1本で対峙したのだから、これほどの書名でも大げさではない。「記者と国家」(岩波書店)。沖縄返還での密約文書をすっぱ抜いた毎日新聞記者・西山太吉の遺言だと付す。このスクープの代償は陰険で、彼の人格をこれ以上ないほど貶(おとし)めるものだった。外務省・安川壮審議官の蓮見喜久子秘書と情を通じて唆(そそのか)し、極秘電信文を入手したとして、国家が犯した罪よりも不義密通が大きく報道された。72年のことだ。本人は退職に追い込められ、蓮見は国家公務員法違反となり、毎日新聞もこの不買運動から経営危機の端緒となった。西山は74年から91年まで生家の西山青果で糊口をしのぐことになる。

 親友であった渡辺恒雄・読売新聞主筆に言及している。93歳にして主筆の座は誰にも譲らず、安倍くんと呼び捨て、政権の庇護を隠さない。改憲の意味するところは読売を読んでくださいと首相も呼応する。通称ナベツネの破天荒なところは、大野伴睦自民党副総裁に取り入って、65年の日韓条約交渉で共に訪韓して外交現場にまで立ち入る。帰国後、請求権問題で「借款2億ドル、供与3億ドル」というスクープを放つ。西山はそのナベツネに警告する。13年の特別秘密保護法はナベツネが諮問会議の座長になって主導した。「国は守る」「新聞は攻める」。このバランスで民主主義を堅持させてきたのに踏みにじって、権力対新聞の本来の構図を根底から塗り変えてしまった。

 沖縄返還交渉は佐藤首相が政権延命のすべてを掛けていて、その期限を切っていた。のっぴきならない弱点を知る米国にとっては、赤子の手をひねるようなものだった。「核抜き、本土並み」と叫ぶだけで、「核付き、沖縄並み」という交渉実態を密約で隠ぺいするしかなかった。「権力妄執でマヒ」と署名記事で批判している。

 権力への執着は、時に国益を捨ててもいいとなる。この政治スタイルは岸信介、佐藤栄作、安倍晋三と連なる長州一族に通底している。岸の60年安保改定で対米依存、追従路線が始まり、佐藤の沖縄返還で米軍基地の自由使用つまり海外への自由出撃を黙認し、安倍の集団的自衛権で自衛隊海外派遣可能となり、日本の存立危機事態は米国が決めるということになり果てた。この半世紀余の中で、日米軍事共同体は確実に完成の域に入ったといっていい。更に辺野古基地建設も、米軍再編計画で沖縄海兵隊のグアム移駐は辺野古のめどが立つまでは実行しないという米国得意のワンパッケージ論理で、アベ政権は身動きが取れなくなっている。新たな辺野古統合基地は嘉手納空軍基地等と同じく絶対的な永久基地とされ、米国防総省の太平洋戦略体系の一環と位置付けられていく。しかもその移駐、建設費用までもが日本負担という筋書きである。

 西山は述懐する。56年から60年にかけて、鳩山内閣は米国の牽制を振り切り、ソ連との国交を開き、国連加盟を実現した。また重光外相は、自衛隊増強と引き換えに在日米軍の縮小し、12年後には完全撤退をダレス国務長官に直談判し、ケンカ別れをするという、今では想像できない事件まで引き起こした。戦後日本の進むべき方向を定める重要な転機であったのだ。この時期から巻き戻さなければならない。

 10月15日、富山・ほとり座でようやく「新聞記者」を観ることができた。こんな映画をよくぞ、作ってくれた。感想はこれに尽きる。西山の危惧した事態が今に続いている。

 さて、沖縄密約も米側の情報開示で存在が明らかになり、吉野文六・元外務省局長も裁判で明らかにしたのに、何と外務次官が「外務省史、最大の背信行為」と非難し、それでも密約は存在しないとしらを切り通した。そんな人間が増えている。いまの若者を、そんな人間にはしたくない。

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