民主主義の最後の砦である司法が危うい。三権分立というが、行政、立法側は無茶をしても、司法が忖度してくれると甘く見ている節がある。その象徴なのが「人質司法」だろう。容疑者が無罪を主張すると保釈が認められず、身柄拘束が長引く。6月27日、出版社KADOKAWA元会長の角川歴彦が弁護団を組織し、人質司法が憲法や国際人権法に照らしてどれほど人権を侵害しているか、国を相手に訴訟に打って出た。大川原化工機に続くものだが、この国の刑事司法を根底から変える裁判にしてほしい。
彼の場合は、東京五輪のスポンサー選定を巡って電通の高橋治之に賄賂を渡した容疑で逮捕され、過酷な取り調べにも屈せず、容疑を否認し続けた。重い心臓の病があり何度も倒れたが、保釈が認められたのは226日後だった。何とか出られないかと拘置所の医務室で漏らした時、医師から「死なないとここから出られません」と吐き捨てるようにいわれた。保釈後、代理人の弘中惇一郎弁護士から「これまで人質司法そのものを争う裁判はなかったけれど、戦いますか」と聞かれ、即座にやると答えた。よほど腹に据えかねた取り調べだったのだろう。国に2億2000万円の損害賠償を求める一方で、「人質司法は、強大な力を持つ検察が主導しながら警察・検察・拘置所・裁判所・メディアが一体となって維持されているシステム」と永年放置してきたメディアの責任も問うている。
大川原化工機の大川原社長も怒りを隠さない。裁判所は「長期拘留はやむを得ない場合のみ許され、保釈も被告人の権利として、例外を除き認めなければならない」。この刑事司法原則を守らなければならないと思うのだが、裁判官の心証を悪くしたくないとの思いから、つい批判を控えてしまう。だからこそ、メディアがきちんとチェック機能を働かせるべきだと主張。また、裁判官、検察官の名前を、起訴や拘留請求、保釈の判断などの時に、メディアは明記しろという。自分の名前を出すことで、国民の誰もが検証しているという緊張感が不可欠。司法界での官僚主義は一人ひとりの顔が見えないことに起因する。この指摘は的を得ている。メディアは即実践してほしい。
蛇足だが、角川歴彦は同じ富山を故郷に持つ縁がある。50年前、木造だった角川書店を訪ねて、営業局長の名刺をもらった。印象としては、2歳年上だが気さくな営業マンという感じだった。後年、姉である亡き辺見じゅんに接したが、兄・角川春樹にも見られる角川源義に連なる文学的な素養とは縁が薄く、その分商才にたけていたのか、と今にして思う。メディアミックスで、既成の大手出版社を抜き去ってしまった。そして、春樹に角川を追い出され、その春樹が麻薬違反で辞任を余儀なくされて、歴彦が復帰するという愛憎劇もあったが、何ほどのことでもないという乾いた関係であったに違いない。
角川歴彦には、残り少ない命と全資産を注ぎ込んで、この人質司法裁判に賭けてほしい。