鷹巣福祉の厳しい試練

日本一の高齢者福祉を実現した鷹巣が切り崩されている。これを許せば、鷹巣だけに限らず、日本の福祉は立ち止まってしまう。いや、地方の政治が死滅してしまうことになりかねない。そんな風に見えてきた。日本一の福祉も、住民が小さな議論を積み上げて、実践しただけのことである。こんな当たり前のことを許さない政治はおかしい。日本の政治風土を変えるとすれば、次の参院選ではなく、2007年の北秋田市長選である。間が悪いが、秋田県の話である。
 どうして人口2万人余の鷹巣町が福祉の超先進地となったのか。91年の町長選である。6期24年間続いた現職に挑戦した岩川徹が、319票差の番狂わせで当選したことに始まる。昭和薬科大学卒で、自営の薬局を経営する42歳。組織票に期待できない岩川は1軒1軒訪ね、住民の声を聞き歩いた。最大の関心事は北秋田新空港の建設ではなく、老後の不安、介護の深刻さだった。その現実に愕然とし、当初の公約にはいってなかった「福祉のまちづくり」を最大の公約にしたのである。当選後、若い情熱と行動力は、デンマーク訪問へと駆り立てた。人手の確保、障害が重くてもひとりで暮せる、個々人に合わせた補助器具の支給などデンマーク流福祉を、鷹巣でも応用できると確信を持った。
 すぐに住民参加で福祉政策を検討するワーキンググループを発足させた。「すぐやれること」「工夫すればやれること」「予算が必要なこと」、それぞれの思いをこうして具体的に徹底的に議論していった。また幸運なことに日本財団が個室の介護施設なら15億円を助成する話が舞い込んできたことも拍車をかけた。まとまった膨大なプランは議会に提出された。しかし次の町長選を間近にして、岩川再選に手を貸すことはないと議会は否決する。議会とは全く相容れない。町長選は前町長の身代わりの教育長が出馬したが、岩川は大差で再選を果たす。再びプランを提出するがまたも否決される。その間に岩川は人手の確保ということで、ホームヘルパーの数を5人から30人に増やし、待遇も大幅に改善、24時間対応を実現している。「ケアタウンたかのす」プランが陽の目をみるのは、次なる町議選で与野党が拮抗したからだ。1票差で可決された。96年のことであり、施設の完成を見たのは99年。この年に無投票3選となった。
 老人保健施設は8年がかりで完成したことになる。12畳の広さに、トイレとお湯の出る洗面台付きで個室8室が1ユニットで、10ユニットが程よくバランス配置され、80人が入所できる。職員配置も手厚く、入所者1.4人に職員1人と手厚い。夜間勤務も必ず2人以上だ。厚生省の基準を超えているし、介護保険外費用となってしまうケースも多い。そして、ここがポイントであり、大きな争点となる。誰でも利用できるように一般財源を投入して、超えたサービス分も自己負担1割とした画期的な施策で実行したのだ。このほぼ1億円をどう見るかだ。
 更に高齢者を縛ったり、閉じ込めたりしないと宣言した高齢者安心条例を施行した。日本の中にデンマークが出現したのである。これがピークであったともいえる。
 03年の町長選挙が迫っていた。合併問題と合わせて猛烈な巻き返しを図る元町長派は厚生連北秋中央病院の岸部院長を対立候補とした。「合併特例債1200億円が使えない」「身の丈に合わない福祉」と批判を繰り返し、3000票の大差で岩川は敗れる。そして05年、4町の合併なった北秋田市長にそのまま岸部が当選する。そうすると、逆回転は矢継ぎ早である。ヘルパーの人員大幅削減、介護保険を超えた分は全額自己負担、高齢者安心条例の廃止と、まるで粛清といっていい。元の木阿弥は時間の問題となっている。
 できれば、次なる機会にもう一度報告したい。
 さて、秋田鷹巣を訪問するつもりであったが、そんな現状を聞き及んで断念した。その代わりに、羽田澄子映画監督が自ら手がけたビデオ3部作「「住民が選択した町の福祉」「問題はこれからです」「あの鷹巣町のその後」を購入し、じっくりと見てみた。ご希望の方には貸し出したいと思っている。
 そして、再度念を押したい。できればデンマークで、以前の鷹巣町で老後を過ごしたいと考えるのは卑怯というもの。自分の住む町を自分たちの力で、そう変えてみせる。それが今回の結論だ。

© 2021 ゆずりは通信