限界集落

海で育ったと自認している男には、農耕は縁遠い。まして中山間地の集落となると想像するしかない。しかし海の男達も、その体力の衰えを生かしつつ生活するとなれば、山の男に成り代わるのも悪くはない。さる先輩から高齢者の住まいを考えているのなら、これを読んでみろ、と手渡された。「山村集落の再生の可能性」(自治体研究社刊)。山古志村などたくましい取り組みがレポートされている。
 「限界集落」とは、65歳以上の高齢者が集落人口の半数を超え、冠婚葬祭や生活道路などの社会的共同生活の維持が困難な状況にある集落を指す。大野晃高知大学名誉教授が、過疎化と高齢化の先進県である高知県でのフィールド調査をもとに、90年初頭に学術的な概念として提起した。それから15年余りが経過して、「集落消滅」が重要な政策課題となってきている。ことし8月の国土交通省の調査で、今後10年以内に消滅のおそれがある集落は432、いずれ消滅が2643と指摘された。そして出された施策が、豪雪地帯の小規模集落を対象に、基幹集落に移転した場合、その費用の半額を補助する集落移転事業だという。果たしてこれで山村が再生できるのだろうか。新潟日報は「これでは過疎の勧めだ」と厳しい社説を掲載している。
 ここはやはり、山古志村の復興作業だ。05年10月23日の新潟県中越地震から3年。全村民避難となったが、震災時の世帯の7割が帰村できる見通しという。行政、住民の不屈な取り組みの成果だ。震災当時の集落は14で、2000人が住んでいた。最初、避難所への入居は順番で、集落バラバラであった。何となく空気がおかしい。話し合いが進まない、行政の意向も伝わらない、要望も上がってこない。これでは駄目だと1週間後に、集落ごとに全部入れ替えた。それからである。ああしたら、こうしたらと前向きの意見が飛び交いだした。
 個人住宅の再建が何といっても重要な課題である。集落機能の基本でもある。幸いだったのは、9割の世帯が、農協の建物更生共済に加入していた。保険支払額は一戸平均で1400万円といわれている。このことで住宅再建が可能となった。自力で再建できない人には、公営住宅となったが、35戸で足りた。もちろん集落景観にマッチするもので、汎用性も考え2連棟となっている。
 みんな山の方が暮しやすい。裏の畑で野菜をとって、少しの田圃で米を作り、あとは山菜などの山の恵みを採って暮していける。国民年金でも悠々とやっていけるのだ。無年金も、生活保護対象者もここでなら何とか、と誰しも思う。それなら、従来の定住者だけでなく、集落での活動人口を増やしていこう、ということになった。定年後もここでなら20年ぐらいはやっていけると思う人も、長岡市に住みながらの通勤農業も可である。また、都会から転じて農業を目指す若者も大歓迎である。
 基本はゆっくり復興していこう、ということ。集落の統合も考えないではなかったが、集落に帰れないとすれば山古志に帰る意味がないということで、14の集落を維持してしまえ、ということになった。
 11月初旬に、砺波市福祉市民部を訪れた時に、「限界集落」を印象深く聞いた。散居村の高齢者を医療福祉の面でどのようにサポートしていくのか。療養型ベッドが11年までに28万床削減され、在宅へと誘導していくのが厚生省の方針だ。在宅支援の医療福祉体制がそれまでに果たして整えられるのか、大きな危機感を募らせている。
 問題は顔の見える範囲で、地域づくり、生活の仕組みを住民自身が作りだしていくこと。高齢化、過疎化を机上だけで考えないで、具体的にこうしてほしい、こうしたいという声を出していくべきだろう。生きた地域分権を急がねばならない。
 足元では、住宅不況が深刻だ。若いセールスマンが契約ゼロで、このままでは辞めざるを得ないと悲鳴を挙げている。経営者は、叱咤するだけでなく、もっと視野が広がる智恵を若い社員に提示すべきである。

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