コミュニティシネマ

街中から映画館が消えて久しい。シネマコンプレックスなるものが郊外に出来て、街中の映画館を死に絶えさせた。同じようなハリウッド映画が上映され、金がハリウッドに流れ込む仕掛けになっているという。日本でのハリウッド映画の占める率は55%、日本映画は27%に過ぎない。ちなみにドイツでは10%という。これは何とかしなければならないと文化庁が動き出している。撮影所がなくなり、映画を支えてきた職人たちがいなくなっている。保存、人材の育成、映画制作への助成、そして上映についても何とかしたいと踏み込んでいる。映画は芸術の中では6番目の位置づけらしい。絵画、彫刻、書、工芸、5番目が出てこないが、これまでは産業分類とされてきて、経済産業省の所管であったらしい。

戦後の映画最盛期は1958年。この時の観客数は11億人、大人の入場料が100円として、1100億円、物価換算からすると、数兆円産業である。大映の永田、東映の大川とかの羽振りは桁違いであったのが理解できる。愛媛の怪物といわれた坪内寿夫も映画館主でぼろ儲けをして、それで造船王となった。この年の作品での最高動員は大映の忠臣蔵で500万人。永田、大川、坪内と並べてみると、やはり文化とはいえない、大衆娯楽産業でいいと思えてくる。

さて文化庁が乗り出してきて、コミュニティシネマというのが一躍脚光を浴びてきた。これはシネコンに挑戦し、街中に映画館を取り戻そうというもの。そして街づくりのキーワードにしていく。ホームシアターとか称して小さな家でひとりビデオや、DVDにかじり付いている奴を街中に引っ張り出そうというのが狙いである。

宝塚市に「シネ・ピピア」という映画館がある。東宝系と名作自主の2館で50席ずつ。1階が灘生協、2階が図書館、3階がこの映画館とレストランのビル。震災からの復興計画の中で、文化で街中に賑わいを取り戻そうということになり、映画館構想が浮上してきた。座席が舶来もので最上等のものを使っている。高齢者を呼び込むためである。もうひとつ震災時の避難場所にも活用される。そしてここが関西、公設民営で宝塚市はまったく民間経営者に任せている。赤字垂れ流しはかなわん、という発想。引き受けたのが大阪でもこうした映画館を経営している景山理さん。映画新聞も発行している。高齢者が買い物のついでに、図書館に立ち寄ったついでに映画を、というわけである。自主上映グループも存在し、自分たちの責任で映画を選び、チケットもさばく。それで人間のつながりが出来ていくという寸法。本当はきょう大阪まで出かけるつもりでいた。8月30日にオールナイトで深作欣二「仁義なく戦い」全作一挙上映と聞き、何が何でもと思っていたがヘボ用がはいり諦めた。宝塚に限らず、新潟市にはシネマウインド、金沢にはシネモンドと背景はそれぞれ違うが、こうした運動がうごめいてきている。これに映画つくりが加わっていく。この先端をいっているのが仙台市の「せんだいメディアテーク」。なにしろ「あなたに映画を愛しているとは言わせない」の蓮見重彦東大総長なるものが関わっている。「映像が、眩暈がするほどの多様性をもってパブリックに解凍していく」といっているのが東北大学大学院助教授の小野田泰明。この人も建築家に似合わず、ボキャブラリーが豊富なのである。いや建築設計に携わっていて、いわば施主を説得するレトリックに長じていないとこの世界では生きていけないからと必須の条件らしい。とにかくいま映画はデジタルカメラとマッキントッシュがあれば、誰にでも作れる時代になろうとしている。

そんなこんなでどんな街ができるのだろうか。そういえば駅前シネマがおじいさん達で盛況らしい。パチンコよりも安上がりで、ばあさんに相手にされなくなったじいさんたちの溜まり場になっている。さりとてそこのじいさんたちは声を掛け合うわけでなく、孤絶したタコツボ状態で、ピンク映画をみやっている。そんな寒々とした光景が映画館の暗闇の中に広がっているのだ。お~い、ばあさん達!聞いているか。駅前シネマのじいさんに愛の手を。この「じいさん」問題こそ、コミュニティシネマ構想の最初の解決策にしてもらいたい。愛染恭子主演の映画制作をこのじいさんたちに撮らせる、なんてね。

最後にいまひとつ。富山駅前にあるCiCビルが一階と地下の一部分だけが機能してその上の部分が廃墟みたいになっているのをご存知だろうか。これを県と市が予算をつけてリニューアルするという。5階の受け付けにいた女性に「変わりますかね」と聞くと、顔を横に振った。当事者も信じていないのである。この時代にそんな名案があるわけがない。まして自分の金を使わない官僚に何ができるだろうか。これこそ公設民営にしないでどうするのか、といいたい。

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