クライマーズ・ハイ

「さあ、行こう」と声を掛けて、不安を振り払うように、みくりが池山荘を夜明けと共に出発した。前日の疲れも残っていた。「夕飯までに時間があるから、さっと雄山でも登ってこいよ」と声をかけられ、前日の午後遅くにひとり雄山を駆け足で登り終えた。ところが室堂付近がすごい霧で、しかも周りには人影がなく室堂ターミナルにたどり着くのさえ覚束なかった。学生時代最後の夏休みに剣岳に挑戦することになった。どういう経緯か記憶が定かでない。リードしてくれたのが野村慎悟君。中学高校の同級生である。彼はみくりが池山荘でアルバイトをしていた。多少の登山の心得があったのであろう。雷鳥沢におり、剱御前に登り、下り、いよいよ剱岳を目指す。蟹の横ばいなるところを鉄の鎖を頼りにたどり、ついに小さな剱山頂に。休む暇もなく下ることにする。下りが大変なのがよくわかった。剣御前の下りでは膝が笑う。そして上りは這うようにして、とにかく無事夕刻には新湊のわが家にたどり着くことができた。このコースは初心者にとって厳しい。若かったのであろう。しかしこれをして一種の「クライマーズ・ハイ」だったのかもしれないと思い出した。

「普段冷静な奴に限ってね、脇目もふらず、もうガンガン登っちゃうんだ。アドレナリンを出しまくりながら狂ったみたいに高度を稼いでいく。興奮状態が極限に達してしまって、恐怖感が麻痺しちゃうんだ。クライマーズ・ハイっていう奴さ」。

小説「クライマーズ・ハイ」(文芸春秋刊 1571円)。作家・横山秀夫は直木賞候補、山本周五郎賞候補といま売り出し中である。あと一歩というわけでなく、審査委員からは厳しい指摘を受けている。昭和32年生まれ。群馬県の地方紙「上毛新聞」で12年間記者生活を送り、フリーライターに転じた。小説修行はほぼ10年ぐらいか。今の暮らしはマンションにこもって睡眠時間2時間、正月盆休みなし。作家として確立できるかどうかの境目にいるとの思いで、必死なのだろうと思う。書きに書き、いや出版社に書かされに書かされている。そして過労のあまり軽い心筋梗塞で倒れ、入院しているらしい。ひそかに応援していたので、ぜひ立ち上がってほしい。作家の道もそれほどに厳しいのである。警察ものに強いのは社会部在籍の経験がものをいっているが、そんな経験だけが頼りでは先が見えている。

「クライマーズ・ハイ」は登山小説ではなく、彼のいた上毛新聞をモデルに、日航機の御巣鷹山墜落事故取材を描いている。もし日航機が長野側に落ちていれば、隣の県の出来事になり、よそ事になってしまう。これが地方紙の論理。世界最大の航空機事故に地方紙単独で挑む。人材の差はもちろん、無線機器さえない状態で、通信社である共同ダネも使わず、全国紙に対抗しようというもの。社内の確執に、家族親子の苦悩、そして谷川岳の衝立岩への挑戦など重層、三層に小説は展開する。しかし横山秀夫の苦悶の形相が思い浮かび楽しめなかった。

関東圏の地方紙の経営環境は厳しい。全国紙が首都圏で必死の競争を繰り広げ、千葉、神奈川、埼玉といっても読者は東京通勤圏であり、地域にそれほど関心を持たない。地元密着報道といってもそれほど読者に響かないのである。上毛新聞も例外ではないが、アメリカ型の特異なやり方で部数を伸ばしていた。しかし順風に見えた経営に大きな落とし穴があった。やり手と思われていた前社長のスキャンダルである。前社長が自分の経営する電気部品会社の債務保証を、上毛の取締役会の承認を得ずにやってしまった。数十億円の負担を上毛に強いている。係争中であるが、上毛にとっては死活問題。これで大きく躓いてしまった。そんなことが遠因にあり、フリーへの道を選ばせたのかと想像している。

さて、川端康成文学賞を受賞した「吾妹子(わぎもこ)哀し」の青山光二さんは90歳である。スローライフ、スローフード、スローライターでいい。大阪文学学校から秋季よびかけ号が届いた。一日体験入学でもするか。

© 2024 ゆずりは通信