共感メッセージを!

初めて台風の洗礼を受けたのは昭和25年のジェーン台風であった。多分9月3日の夕刻にかけてのことである。5歳の時で、母と2人で銭湯に出かけており、親切な見知らぬ叔父さんに抱えられて、ようやくの思いで帰宅したように覚えている。吹けば飛ぶような引揚者住宅のガラス窓には、新聞紙を帯に切り、縦横斜めと張り合わせ、外からは板が打ち付けられていた。家族5人息を潜めて、台風が過ぎ去るのを待っていたように思う。翌朝起きて見ると、門島電気店の家がそのまま崖下に落ちていた。
 当時はまだ米国の占領下であり、その復旧にどれだけ国家が関与したのだろうか。そんなことを思ってみたりしながら、野田新政権発足を遠いことのように眺めている。
 松下政経塾出身で、初の首相輩出である。松下幸之助が私財70億円を投じて設立したのは昭和54年だから、32年を経ての夢実現といえる。第1期生の記念写真には、幸之助を囲んで若い野田が笑顔で納まっている。昨年までの卒塾生は248人。ほぼ半数の112人が政界に進んでいる。
 募集要項をのぞいてみた。全寮制で期間は4年、入学金、授業料は取らないどころか、逆に月額20万円が支給される。年齢は22~35歳。応募には「2030年日本の夢」をテーマに1600字以内での作文提出が求められ、3次選考まである。定員は数名で、希望者は毎年200名以上にのぼっている。研修内容は、政治経済哲学などの研究、農業や製造業などの現場研修、茶道や書道、座禅修行のほか自衛隊体験入隊もある。
所在地は、茅ヶ崎市汐見台。JR東海道線辻堂駅海側下車とある。その山側だが、老人が昭和48年から5年間慣れ親しんだ駅だ。湘南海岸まで、自転車でよく出かけた。江ノ島がまじかに望める風光明媚なところだ。塾生達はその海岸をジョギングするのが義務付けされているらしい。体育会系でもあるのだ。
 野心でぎらぎらした青年達が集っている風景が見えてくるようだが、促成純粋培養という最も避けて欲しい弱点もほの見える。松下政経塾出身、辻立ち手法、そして泥鰌だ、鯰だといった気の利いた隠喩が加われば、政治家一丁上がりというわけにはいかない。
 最初の洗礼は訪米である。普天間で問い詰められたら、どう答えるのか。すべてはそこにかかっている。そこでのメッセージこそ、すべてといっていい。沖縄に通じないものは、福島でも通じない。難題中の難題だが、小さな針に糸を通すように「共感メッセージ」を生み出して欲しい。老人同世代の管、仙石から、確実に次世代へバトンタッチされたのである。責任を果たせなかった旧世代となった今、批判よりもエールを送りたいとの思いが強い。もちろん苦しみの中から生み出された共感メッセージがあってこそである。
 もうひとつ注文である。税と一体という社会保障だが、もっと若者への目配りをしてほしいことだ。官邸に細川護熙秘書官であった成田憲彦を入れるそうだが、昔の名前に拘ってはならない。湯浅誠を内閣官房にとどめ置くべきだ。高齢者の失業率よりも若者の失業率が高い。若者が無年金、無縁ホームレスに脅え、長生きしたくないという声を発している。老人にとっては慙愧に堪えない現実である。保守を標榜するにしても、そこに切り込まなければ、この内閣を支持しない。
 またまた老人の繰り言になってしまった。新聞に眼をやると、潮田健次郎のお別れ会の記事があった。トステム(現在の住生活グループ)を率いてきた経営者で、YKKからサッシのシェアトップを奪った男である。愛読書がアルフレッド・スローンの「GMとともに」で、ずっと注目してきた経営者であった。ここでもひとつの時代が終わったということだろう。

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