バリデーション・セミナー

Validation。法的に有効、確実という意だが、これは認知症高齢者とコミュニケーションを行う実用的な手法のひとつ。ナオミ・フェイル女史が開発した。彼女は74歳、アメリカでの介護体験、ソーシャルワーカーとしての経験から編み出した理論というより実践の手引きだ。セミナーは本人の3時間にわたる活力にあふれたものだった。同時通訳者が後から必死に追い駆けていた。千葉でグループホームを展開する同級生にセミナー開催を教えてもらった。彼女のスタッフも交替で受講し、介護に役立てているという。そんな単純なきっかけだが、多くの受講者の前で、ナオミ女史とロールプレイをやる羽目になるとは思いもよらなかった。
 7月20日、会場は東京・日本青年館。国立競技場の隣で、東京オリンピックの際にプレスセンターとして使用された。豪雨が続いているので、JRを避けて飛行機を選択したが、正解であった。信濃町駅から、それらしき女性達が同じ方向を歩いている。場違いな受講者となるのは覚悟した。ほぼ200人で、満席の状態である。受講料は1万500円。
 さて、バリデーションだ。人生の終末における辛い感情を受け入れることから始まる。癒され、自己の尊厳が保たれてこそ、人生最期の試練に臨むことができる。孤独、無力感、退屈に流れる時間。その底知れない闇の感情が認知症高齢者の体内を駆け巡っている。多少わかったつもりだが、この想像をはるかに超えたものかもしれない。そうした状況で、最期の奮闘をしなければならない、ということだ。
 そして、介護者あるいは家族に求められるものは、まずは集中力。大きな腹式呼吸を8回繰り返し、ストレスや怒りから自らを解放させる。介護者がそんな感情を抱えたままでは、混乱に拍車がかかるだけで、バリデーションは行えないからだ。その上で、落ち着いて相対する。高齢者の話の中からキーワードを見つけ、共感をもって聞き返す(リフレージング)ようにする。相手の感情の中に入り込み、真心込めたアイコンタクトで、下唇をみつめるように全エネルギーを集中させる。
 例えば、幼児期にレイプを受けた女性は、幻の中に加害者の男を見る。これを否定しないで、どんな男、どのくらい辛かった?やさしく、時にタッチングも含めて、すべてを吐き出させるように聞き出していく。また、植物状態となった人には、動物的な生命感覚に訴えるように、自分が危害を及ぼさない味方であることをわからせる、などなど。トラウマ体験を共有して初めて信頼関係が生まれる。この信頼こそが双方の基礎となり、豊かなコミュニケーションが生まれる。できれば、バリデーションをしっかり身につけて介護者にめぐり合いたいものだ。
 「そこの男性、ちょっとお願いします。ここに来て、90歳の認知症を演じてください」と指差された。「目をつぶって、洪水で自分の田畑が流されようとしています、あなたは制止を振り切って、雨の中を外に出ようとしています、さあどうぞ。演じてください」。ナオミ女史のしわがれた手を掴み、大格闘を演じたのである。青い、力強い目が、眼鏡越しに突き刺さる。剥き出しのエネルギーの交感で、辛い思いが共有され、興奮が沈静されていくのが理解できた瞬間だ。顔見知りが誰もいないということは、人間を大胆にさせる。ヘボ演技に拍手が起きたのである。
 このセミナーは序の口であり、本格的なスキルを学ぶワーカーコース、グループリーダーコースが用意されている。終了後、そんなコースの申し込みに殺到していた。場違いおじさんは最も早く会場を出た。日本の介護現場も捨てたものではないとホッとした気分である。
 しかし本当の現実はどうか。確かに、このセミナーの受講者の大半はもっと良い介護をと思っている。その一方で、医療介護制度の切り下げがこの4月から実施されている。療養型ベッドからの追い出しが既に始まっている。どこにも引き取り手がない老人達はどうするのだろうか。一方で、介護職員の賃金切り下げや、パート化が進められている。バリデーションが遠く、現場の若い人の思いとは別に、海の彼方の理想となっていくような気がしてならない。

© 2020 ゆずりは通信