スーツケース型案内ロボット

 網膜色素変性症。ほぼ20年前、この病名を初めて聞き、実際に失明した人を紹介された時の驚きは今も忘れない。視力を失う恐怖心は、わが小心さでは耐えられるものではない。その時教えてもらったのが、ダイアログ・イン・ザ・ダークという施設。大阪にあり、日を置かずに訪れた。完全に光を遮断した純度100%の暗闇の中で、視覚障害者の案内により、視覚以外の様々な感覚やコミュニケーションを楽しむとされているがそんな余裕はなかった。20年に東京・竹芝にも、ダイアログ・ダイバーシティミュージアム「対話の森」が開館している。ぜひ、体験されたい。
 プール通いを日課としているが、全盲スイマー・木村敬一の「闇に泳ぐ」を読んで驚いた。小学校入学時から親から離れての寄宿舎生活だが、その自立心の逞しさ。英語も話せないのに、ひとりで渡米しての合宿生活に入る大胆不敵さ。恐れ入るしかないが、浅川智恵子・日本科学未来館館長も凄い。今回は彼女が手がける視覚障害者がひとりで旅ができるスーツケース型ロボットに注目したい。「情報へのアクセス」と「移動の自由」のこのふたつに挑んでいる。

 彼女は11歳の時に、プールに顔をぶつけた際のけがが原因で、徐々に視力が落ち、14歳で完全に失明した。スポーツ選手の夢も、普通高校への進学も絶たれたが、気を取り直して盲学校へ進む。目が見えなくてもできる仕事とは何か。この前向きさと気持ちの切り替え、環境への順応性が彼女のエンジン。翻訳家になろうと英文科に進むが、膨大な紙の資料が必要とわかると、すぐに転進をはかる。目指したのが視覚障害者向けのプログラミングだが、今年100周年を迎える、自身も盲目である岩橋武夫が大阪に創設した「日本ライトハウス」で学び、習得していった。そして幸いなことに日本IBMの学生研究員となり、85年に正式研究員となった。09年には日本から3人目となるIBMフェローと上りつめている。

 今更ながらだが、IBMの持つ組織文化に触れておきたい。日本海文化シンポジウムのスポンサーになったのだが、一切の反対給付を求めない態度は一貫していた。リコーも別の企画で助けてもらったが、コピー機の入れ替えが条件として出された。当時は北陸銀行のシステムが既存のIBMから富士通に切り替わるかどうかの瀬戸際であったがまったくの杞憂で、資本主義に潜むプロテスタンティズムの倫理とはかくや、と思った。IBMとの出会いが彼女の才能を開かせているのだ。そう確信させる。

 スーツケース型ロボットにはAIのほか、センサーやカメラ、電源などを搭載され、障害物を認識して触覚で伝える。また友達が近づいてきたことや、近くにカフェがあるといった周りの状況も音声で伝える。いわば障害者の目となって、移動の自由をサポートする。将来的にはスマホにそんな機能が移動するのではないか。彼女には二人の娘がおり、連れ立ってショッピングを楽しみ、ファッションにもアドバイスをくれるという。

 さて、糖尿で失明の危機にある福島・小名浜在住のわが高校同期はいまだ健在であった。先日数年ぶりで電話が通じた。スマホの字が読めず苦労しているみたいだが、ゴミ屋敷にひとり住まいを続けているしぶとさ。これも称賛に値する。車椅子に乗り、スーツケース型ロボットを操って富山に来る姿を見てみたい。

 参照/日本経済新聞4月17日朝刊

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