「宇沢弘文からのメッセージ」

 これほど豊かに人生を送れるものか。経済学者・宇沢弘文が生きた86年の歳月は、どこを切り取っても人間・宇沢が息づいている。かく生きたいものである。彼が初めて手掛けた岩波新書「自動車の社会的費用」は車のコストは道路、排気ガス、事故など眼に見えないものまで含めるべきだという論に目からウロコであった。三里塚成田闘争にも経済学者として参加している。「空港の社会的費用」の視点だ。私生活では車をできるだけ乗らない。都内であればいつも走って目的地へ、短パンでそのまま人に会うのも辞さなかった。思想と生活が一体となる真摯さで、それを他に強要しない寛容さも持ち合わせている。

 実は松尾匡・立命館大学教授の講演会を企画するなかで、経済学というものを見直したかった。そうすると宇沢に行きつかざるを得ない。「経済と人間の旅」(日本経済新聞出版社)、「宇沢弘文からのメッセージ」(集英社新書)。確信したのは経済学には数学のセンスが不可欠だということ。13歳の中1で名著「解析概論」を独学で勉強していて、一高時代はラグビーに明け暮れて、東大数学科定員15名の難関を中学時代の蓄積だけで突破した。数学の本質に達していたのであろう。当初医学部を考えていたが、人格高潔を求める「ヒポクラテスの誓い」のハードルは高すぎると感じての数学科受験。彌永昌吉教授に数学科の研究者として残れと迫られたが、戦後の日本がこれだけ混乱しているのに、ひとり数学をやるのは苦痛です、と経済学で社会と切り結ぼうと心に決めた。

 マルクス経済学全盛の時に、ラグビー部の先輩に紹介されたのが近代経済学の古谷助教授。彼のもとでスタンフォード大のアロー教授の理論に傾倒し、自分の論文を送ったところ助手として誘われた。アローは研究予算を確認して招いたのだが、大学の自由とそれを支える予算のシステムでは日本は遠く及ばない。

 そこで事件が起きる。アローは自分の論文とうりふたつの日本人の論文を突き付けてきたのである。同じ古谷研究室の同僚のもので、剽窃ではないかという疑いだ。許さないぞと血相を変えている。いつか数学的な手法を細かく話した記憶はよみがえるが、弁解してもしょうがない。アローに毎週のように研究論文を提出するので、実力を見てほしいと必死に誤解を解いた。それが「2部門分析」「最適経済成長論」「内生的経済成長論」「動学的不均衡理論」と新機軸を切り拓くものと高く評価され、世界的な数理経済学者と認められることになる。塞翁が馬とはこのこと。

 私にとってのもう一冊。「経済学の考え方」(Jロビンソン著 岩波書店)だが大学時代のテキスト。赤い線やメモがあって懐かしいがすべて忘却の彼方だ。ロビンソンはケインズの有効需要政策に警鐘を鳴らしたケンブリッジ大学の女性教授だが、彼女は来日すると宇沢の家に泊っていた。きれいですぐれた頭脳を持ち、威厳もあり、フェミニストの元祖だったというのが宇沢の評。その交友はノーベル賞に最も近い経済学者といわれるだけに華麗である。

 そして、最も改革を迫ったのが教育。東大紛争時、東大の解体を提言した。駒場をリベラルアーツの4年生のカレッジとして、本郷を法学、医学などの専門学校として専門家を育てる。ケンブリッジに倣うもので26のカレッジから構成され、全寮制で教授なども寝食を共にする。このカレッジを経ないと東京大学に入れない。それほどに変えないと本物の人材が育たないという持論。夢は全寮制の中高一貫の学校をつくることだった。そのための数学と英語の教科書を書き始めて「好きになる数学入門」(全6巻)を出版している。

 さて、あなたの社会的費用は?と問われることも考える。もちろんこれは選別基準ではなく、行動基準として深く自省する必要がある。

 

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