「うつに非ず」

いま、社会全体で「疾病化」が進んでいる。病気が人為的に作り出されているという指摘だ。何でも病気であるとして、人々に自分が病気だと認識させる動きだが、これがより意図的、組織的になっている。企業が合理化・リストラで働く者を抑圧している問題が、それで悩み苦しむ者を今はうつ病とされる。不登校も学校や教師の問題でもあったのだが、発達障害とレッテルを張って個人の問題として片付けられてしまう。特にわが国の精神医療に大きな問題点があることは間違いない。このまま放置しておくと、とんでもない社会になってしまう。
 清明堂書店の閉店セールで無造作に買い込んだ中に、精神科医である野田正彰の「うつに非ず うつ病の真実と精神医療の罪」(講談社)があった。こんな機会がなければ手にしていない。著者の義憤に相槌を打ちつつ、あっという間に読了した。野田には「させられる教育 思考途絶する教師たち」(岩波書店)もあり、共感するところが多い。仕事意欲を低下させるだけの管理業務が押し付けられ、子どもと向き合うことのできないで苦しむ教師をルポしたものだが、そこでも悩む教師に「あなたは様子がおかしいから精神科に行きなさい」と校長が勧める。東京都教育委員会には校長が受診を勧める書式さえある。
 ほとんどのうつ病は自然治癒する。野田が断言している。それを信じたい。
 病院へ行くとどうなるか。診察を待つ間に、質問票が渡される。「眠れない」「食欲がない」などの9項目だが、5項目に丸が付くと、診察室の医師は顔も上げずにパソコンの画面を見ながら、「あなたはうつ病です」と告げる。そこから薬依存の道行きが始まるのだ。
診断後、即に抗うつ剤、睡眠導入剤、精神安定剤が投与される。数週間後改善がなければ、薬の量が増やされ、別の種類の抗うつ剤、睡眠導入剤が追加され、不眠や食欲不振といった症状とは無関係に薬への依存、中毒症状が進行するのである。
 その間にこんなカラクリがある。アメリカ精神医学会で書かれた「精神障害の診断と統計マニュアル」の94年改訂版がいつしか診断の手引きとなり、厚労省が精神疾患を五大疾病に加えたことも加わって、「精神科」「心療内科」を掲げる診療所が急増していくのである。もちろん患者数も急増していく。伝染病でもない疾患がこれほど急増するはずがない。後押ししたのはマスコミ、精神医学関連の諸学会、製薬会社などが行ってきた「不眠はうつかも」という、うつ病キャンペーンである。
 更に更に自殺予防キャンペーンが加わる。年間自殺者数が3万人を超える事態に「自殺はうつ病だから、精神科クリニックに行きましょう」を唱える大合唱となった。これも大きな間違いで、自殺における実証的な研究はほとんどない。仕事に就けないなど生存競争が厳しく、また恋愛問題に悩む若者と、体が不如意になり自ら命を絶っていく老人にケースは多いのだが、自殺はうつ病といって解決策にならないことは明らかである。
 自殺についてもうひとつ付け加えておきたい。遺族を更に苦しめるひとつに賃貸契約書の「心理的瑕疵」条項がある。アパートで子どもが自殺した場合に、家主及び関係者に慰謝料を払わなければならないのだ。補修費、大家や近隣住民への精神的苦痛に対する慰謝料などだが、数百万では収まらないこともある。
 さてあるべき精神医療だが、その前にわれわれ自身にこう問いたい。うつ病や抑うつ状態になったとしても、治療法が確立していないのだから、自分らしい精神で生きると開き直ることだ。これこそ実存といえよう。
 また精神科医は患者と心から向き合わなければならない。一日に2人から3人が限度であろう。医師自身のこころを鏡にして、患者のこころを写し取り、想像をめぐらせて処方箋を描きあげなければならない。高い能力が求められる。診療報酬もそれで生活が成り立つようにするべきである。
 安保闘争を指揮したブント・島成郎(しま・しげお)が精神科医となり、沖縄に転じて実践した記録「精神医療ひとつの試み」を読み直さないといけない。浦河べてるの家も、森田療法も。

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