床屋談義

 3,900円か、1,500円か。散髪だが、いつも迷っている。前者が理容組合加盟店の公定価格、後者が価格破壊の非加盟店だ。カットハウスなるものが出現したのがほぼ20年前。東京出張の折、新橋駅で見つけた。約束の時間まで余裕があるので、ちょっと髪を整えたがほぼ10分、これはいいと思った。既存の床屋はやっていけなくなるのではという危惧だったが、その通りに進んでいる。わが問題意識は資本主義の弱肉強食の論理にイノベーションだけで乗り切れるのか、またアダムスミスの「神の見えざる手」にゆだねるだけでいいのか。デフレと市場のダイナミズムに沈んでいく床屋を念頭に、行く末を考えてみたい。

 わが団地の入口に床屋がある。30年前の創業だと思うが、子ども同士が同じ少年サッカー倶楽部に入っていて、何の疑問もなく常連となっていた。床屋自身も新築したばかりの繁盛店で、理容師も数人いて活気にあふれていた。風向きが変わったのが、こちらがリタイアした05年頃。わが友人達も髪恰好など気にしなくなり、女房がカットハウスにしろ、といい出したと弁解しながら転じていった。そういえば施設に入った父をカットハウスに何度か連れて行った。早い、安いがありがたかった。わが町内の床屋主人が吐いた最初のボヤキが「あんなカットハウスに行く人間の気が知れない」。名前をこそ出さないが、町内の贔屓が顔を出さなくなった時である。あんまりご無沙汰と気が引けて顔を出した客に、「久しぶりですね」と口に出して、ますます足を遠のかせる結果になっていった。

 ボヤキもそうだが、タオルも古く、耳掃除などもぞんざいになり、客としての満足感が得られなくなった。義理でいっているだけで、お金を出しながら不満だけが残る。これでは衰退に拍車がかかる。多分現状を話しても、聞く耳は持たないだろう。廃業しかないが、50歳前の息子の先行きは、残された店舗の処理は、と難問が立ちはだかる。再生の道はあるのか。富山県理容生活衛生同業組合なるものも存在するが、どこまでこの危機を認識し、打開策を模索しているか、期待はもてない。

 ここで思い出したのが関西生コン。ミキサー車の運転者が立ち上がり、産別労組を立ち上げ、そこに結集して、ゼネコン、大手コンクリート企業に対抗する構図とした。それにならって理容師が産別に結集したらどうか。しかし、客の選好が強く、生活に不可欠なサービスでもないので、理容師ゼネストで訴えても、ひとり相撲となるだけかもしれない。しかし、理容師として結集することは悪くはない。生き残り策を模索する知恵を出し合うのだ。

 個店として生き残るには、スキル、衛生、安全、快適さを見直し、カットハウスとの比較でも劣らないことを組合でチラシを作成し、町内全体にポスティングしてアピールする。待つだけの営業から脱することは最低限必要。それから高齢者社会に対応し、在宅や施設への出張サービスも、積極的に近隣の床屋とも協力して行う。組合としても、加盟店のイメージアップ宣伝、廃業店への理容師派遣、美容師との共同店舗化などで積極融資策など行政の力を借りながらやっていく。

 時代の流れに立ち向かうのは簡単ではない。ウクライナ兵士のひげを剃ってやるボランティアをやるような心意気こそが大事。小さな努力は誰かが見ていて、ひょいと顔を出してくれるかもしれない。

 そして、これは床屋だけに限らない。あらゆる業種が市場からはじき出されようとしていることを肝に銘じて、できることをしっかりやって生き抜こう。「神の見えざる手」に負けない「心意気の手」を信じよう。

© 2024 ゆずりは通信