小児病棟

新潟県立中央病院は、なぜか新潟市ではなく上越市にある。5月16日高速を飛ばして、上越インターから直行した。その7階が小児病棟、わが孫娘は川崎病と診断され、大きなベッドにちょこんと、いたいけな姿で眠っていた。生後3ヶ月の小さな手の甲に、針よりも細いと思える血管に点滴をうけている。見ているだけでつらい。ここの小児科には7名の医師が名を連ねており、川崎病への対応実績もあるので、少なからず安心して任せる気持ちになっていた。小児科の基幹病院へのスタッフや機能集中はうなづける。
 川崎病は昭和42年に、日本赤十字病院小児科に勤務していた川崎富作医師が「急性熱性皮膚粘膜淋巴腺症候群」として報告し、その医師名に由来する。4歳児以下の乳幼児に起こる中小動脈の炎症で、急に高熱を出し、発疹がみられる。特に心臓の冠動脈の炎症から心筋梗塞を引き起こし、突然死の危険性もある。原因はわからない。孫娘も数日前から38度5分の高熱を出しており、17日にそう診断された。治療法は確立されており、ガンマグロブリンを大量に注入して炎症を抑える手法だ。18日には注射器を横にしたシリンダーの様なものから、点滴に加えて注入されると、20日には熱も下がり始め、炎症反応が低下していった。表情もすっきりと、顔色にも生気を取り戻したようだ。後遺症として動脈瘤が残ることがあり、心臓エコーなどで定期的なチェックが必要となる。
 11日間の入院であったが、小児病棟には付き添いのおかあさん、おばあちゃんが欠かせない。しかも簡易ベッドが持ち込まれ、24時間拘束といっていい。中には治療法もなく、延々と続く難病もあるから大変なストレスである。子どもの心理などを考えると、やはり肉親とならざるを得ない。面会謝絶の病室の前を通る度に、胸塞がる思いがする。サポート体制はやはり貧弱だ。兄弟姉妹のための保育設備、付き添いのピンチヒッター役の配置、病室での個人授業などもっと充実させていい。
 今回のわが役割は2月の出産時と実質変わらない。2歳半のやんちゃ坊主の保育園送迎、食事、入浴などに、嫁さんの負担を軽減する交代付き添いが加わる。授乳を終えてからほぼ3時間だ。ぐずらないようにと思うがそうはいかない。子守唄なんぞ思い出しながらあやすが、時に童謡、民謡と続けて演歌なんかも、どうせわからないだろうと織り込んでやる。音痴になったのは、おじいちゃんの所為といわれるかもしれない。同室の小学生は摂食障害での入院だが、隣のベッドでくすくすと笑い出す。こうした交流がお互い貴重な慰めになる。
 こんな時全く当てにならないのがゼネコンに勤める長男である。育児放棄の勤務形態を当然視する貧困なる企業文化批判は後日にゆずることにするが、のっぴきならないケースもある。
 中日新聞に「歩くように 話すように 響くように ミトコンドリア病の娘と」と題するコラムが連載されている。遺伝子の欠損が原因で、治療法はまだない難病で、堀切和雅青山学院女子短期大学教授の育児格闘記だ。死と隣合わせのギリギリの選択を迫られながら、ようやく幼稚園に入れたことを素直に喜んでいる。彼は雑誌「世界」の編集者でもあったが、こんな事も書いている。
 高校生の頃、「何か世の中が一挙に変わってしまうようなことが起こらないものか」と夢想していた自分が恥ずかしい。戦争になったら、響(娘さんの名)にビタミンB1が届かなくなるかも知れない。風邪をひいても点滴を受けられないかも知れない。特殊ミルクの入手なんて、困難になることは目に見えている。響の体に明日何が起こるか分からないから、明日も、今日と同じように社会が機能していないと困るのだ。だから、響を殺すかも知れない非常事態を、戦争を、僕は烈しく憎悪する。それを防ぐためにできることは、する。戦争や騒乱を起すのは、体の丈夫な、想像力に欠けた連中だ。弱者は決して戦争を望まない。爆撃され占領されるイラクにも、ミトコンドリア病の子はいるだろう。他のあらゆる難病や障碍のある子もいるだろう・・・。
 ほぼ2週間のおじいちゃん助っ人であったが、得るものも大きかった。嫁さんとの信頼関係が格段にレベルアップした。これが一番である。

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