「<いのち>とがん」

 これからはふたりにひとりが、がんと向き合っていかなければならない。といいつつ、古稀を過ぎた者としては、がんとは闘わないことにしている。手術も、抗がん剤も、放射線も、そして遺伝子治療もしない。白旗が掲げて、好きな酒を飲みながら「おい、がんよ。老いたる細胞を餌食にしても、うまくはないだろう」と静かに待ちたい。そんな処し方に確信を持っているわけではない。膵臓がんと聞いて手にしたのがNHKで数々のルポを手掛けてきた坂井律子の手記「<いのち>とがん」(岩波新書)。立ち読みしていたら、つい読み進み、購入して読み切った。この原稿の前に確認しておこうと検索して初めて知ったのだが、あとがきに記したのが2018年11月4日で、本を見届けずに同月26日に力尽きていた。享年58歳。

 始まりは2016年5月、帰宅途中の列車内で胃が突き上げられるような激痛だった。翌朝はおさまっていてNHK局内の診療室に出向いたが、逆流性食道炎という診断で、目が黄色だったので超音波検査を受けた。超音波の結果が、膵臓がんの疑い濃厚で、肝転移もすでにあるかもしれないというもの。情報収集から判断、そして果敢な決断と迷いはない。自ら選んだ東大病院・肝胆膵外科の坂本良弘医師から「浸潤性膵管がん」と告知され、「慎重かつ積極的にやります」と膵頭十二指腸を手術で切除した。でも手術はスタートライン。その後の2年間は術後の激しい下痢生活、脱水での入院を経て、再発、抗がん剤治療、再手術、再再発、再度の抗がん剤治療と「容赦なき膵臓がん」に翻弄され続けた。再発・転移という拷問は、つかの間の寛解で期待と希望を味わわせ、それをすぐに奪って絶望に引き戻し、心をへし折ってしまう。

 彼女はこうも記している。「死の象徴」となっている病気はまぎれもなく「膵臓がん」である。自分がこのような死を間近にした病状を迎えている今、死を別に受容しなくてもいいのではないかと思っている。人は死ぬまで生き続ける、だから、死を受け入れてから死ぬのではなく、ただ死ぬまで生きればいいんだと思う。「とてもそんなものでは・・」という凄絶な闘病記である。

 また、こんな使命感も書く。医療が飛躍的に進歩する中で、患者もまた「考える患者」であらねばならない。学術的な貴重なデータである。がん患者は記録を残し、次なるがん患者につなぐという大事な役割だ。

 彼女は遺伝子検査にも挑戦している。「典型的な膵臓がんの遺伝子変異です。使える治療法は今のところありません。血のつながった家族に同じ病気になる可能性はありません」。これが結果であるが、もし遺伝性のものであったらどうだろうか。もしも息子や弟にその危険が治療方法もないまま及ぶとすれば、どうなるだろうか。結婚前に遺伝子検査情報を交換し合うという選別が、公然と行われかねない。どんなに選び抜こうとも、死は免れることができない。この真実を引き受けることで、生きていくしかない。がん患者を支える場所として「元ちゃんハウス」が取り上げられていて、思い出した。金沢赤十字病院の西村元一医師とは2度ばかりお会いしている。「元気なふりをする患者と、わかったふりをする医師のすれ違い」という自戒が口癖で、彼も胃がんで17年に亡くなっているが遺志として自宅をがん患者のために開放した。東京・豊洲の「マギーズ東京」も同種の施設で、記憶に留めてほしい。

 さて、闘病は、次の命のためにつないでいく記録。抗がん剤を怖がるな、ということでもあるが医療費節約という言い訳も。「生のみが我らにあらず、死もまた我らなり」。胆に銘じよう。

 

 

 

 

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