ミランダ警告

 湯たんぽを布団に入れて、足でまさぐりながら眠りにつく。「冬よボクに来い。冬はボクの餌食だ」といっていたのは遠い昔、今は足が寒いと眠れない。そんな話を元新左翼活動家にしたところ、新潟刑務所の寒さは厳しかったとの体験談。窓ガラスが凍り付き、ふとんがその結露でしめっぽくなり、震えていた。若さでしのげた。一方で、内ゲバと公安に追われる緊張から解放された安堵感の方が大きかった。留置場と拘置所の違いについても教えてもらい、自らのひ弱さを痛感させられた。

 この年齢でしょっ引かれたらどうなるだろうか。池袋暴走事故の飯塚幸三は90歳で拘置所入りを自ら選んだが身につまされる。わが妄想は痴漢の冤罪を描いた「それでもボクはやってない」に及ぶ。周防正行監督の描いた冤罪の恐怖は記憶に刻み込まれている。鉄道警察官は76歳の老人に向かって、「あんた、その年齢で触ったのか。エロ爺の最たるものだな」「やってないよ」「じゃ、今日は泊まってもらってゆっくり思い出してもらうよ」。有無をいわせない威圧感に、場数を踏んだ経験知。老人は絶望の淵に立たされ、なす術のない無力感と孤独に打ちのめされる。老人をこのように怯えさせる司法制度の是非を考えてみたい。

 標題のミランダ警告とはアメリカの制度で、取り調べを始める前に、黙秘権があること、弁護士に立ち会ってもらう権利があることを被疑者に明らかにしている。弁護人の立ち合いは欧米では当たり前のことだが、日本は認めていない。加えて、世論の関心も高くなく、立法化テーブルには挙がっていない。

 厚労省の村木厚子冤罪事件では大阪地検特捜部は証拠改ざんにも手を染めていて、取り調べの可視化が導入された。しかし、違法不当な取り調べは無くなり、弁護人立ち合いの必要性がなくなったわけではない。21年のプレサンスコーポレーション元社長冤罪事件では、「ふざけた話をいつまで通せると思ってる。検察なめんなよ」との罵詈雑言を平気で浴びせている。表に出ない冤罪はどれだけあるのだろうか、旧態依然は全く変わっていない。

 弁護人立ち合い反対論の根強い根拠は、弁護士がそばにいると被疑者が悪事を話さなくなるので、取り調べの「真相解明機能」が阻害されるということ。その一方で、弁護士がいないからといって暴行・脅迫や、過度の誘導的な尋問などやっているわけでは決してない。それなら弁護士が立ち会っていようがいまいが変わらないなら、立ち合いを即時認めたらどうかと問うと、世論というか、政治が動かないのだから、と本音をチラつかせる。つまり世論を動かし、政治を変えろと言外にいっているのだ。法務省だけに限らないが、わが国の人権感覚は戦前のままといっていい。つまり周防正行が07年に問題提起した人質司法などの刑事裁判の人権軽視の実態は変わっていない。多くの国民は自分だけはそんな目に合わないし、ちょっと怖い目に遭わせないと正直に吐かないものだと思っている。怖がらせて治安を守るという治安維持法のままの心境に追い込まれているといっていい。

 カルロス・ゴーンはこんな司法制度に満足している日本人に警告を投げたといっていい。国連・自由権利規約委員会は、死刑制度、代用監獄、起訴前の保釈、長時間にわたる取り調べなどの問題点を繰り返し指摘しているが全く応えようとしていない。こんな状況で憲法改正など審議できる状況ではないのだ。

 76歳の痴漢容疑者は弁護士の立ち合いもなく、凍死目前にして「日本よ、死ね」と血書を遺して逝くしかないのか。司法制度の改革を急ごう。

 参照「世界」2月号から「日本司法の独自進化」。

 

 

© 2024 ゆずりは通信