宗教法人にもビジネスモデル

 福井県にある曹洞宗の総本山・永平寺は道元が開き、今も雲水たちが1年を超えて修行に励む。これは多分無料であろう。街中に出て托鉢はしているが、わずかな補填に過ぎない。由緒ある名刹でも収支が合わないものは、いずれは消滅せざるを得ない。道元にそんな才覚があるわけがない。孫弟子にあたる蛍山紹瑾(けいざんじょうきん)が、死者を剃髪して出家したことにし、戒律を授けた証として戒名を授与し、布施をもらうシステムをつくり上げた。いわば、葬式仏教を最初にあみ出したのだ。曹洞宗では道元を高祖と呼び、紹瑾は太祖と呼んで讃えている。本田技研も本田宗一郎というモノづくりの天才がいて、藤沢武夫という参謀が経営を支えることでスタートアップした。宗教法人にもカリスマの教祖と、マネジメントに通じたナンバー2が不可欠に思える。

 宗教学者の島田裕巳は「新宗教 驚異の集金力」(ビジネス社)で、ビジネスモデルという視点で各教団を分析している。既成の仏教は江戸期の「寺請制度」、明治期の菩提寺と檀家の関係もあって、葬式仏教モデルが機能し、今日に受け継ぐ。しかし、戦後の新宗教は葬式以外のビジネスモデルを模索しなければならない。新宗教が対象とする層は「貧・病・争」。信者は決して富裕層ではない。病を抱え、争いごとに巻き込まれている。教祖はともかくとして、参謀は知恵をしぼらなければならない。

 創価学会は商材ビジネス型。会費は布教の邪魔になると取っていない。会費代わりになるのが550万部といわれる聖教新聞で、購読料は1934円。出版もやっており、池田大作の「人間革命」はベストセラー。これらは日常経費で、会館などの費用はまかなえない。そこで1951年から年会費4000円を支払う財務部員制度を導入した。語り草になっているのが日蓮正宗の正本堂建立の寄付集め。1965年10月の4日間で355億円が集まった。絶頂の時である。今は日蓮正宗とは決別しているが、信者であふれるため寺院も多く建築した。創価学会の優れたところは、分裂分派がないところ。莫大な資産は創価大学や東京富士美術館などに使われて、私物化されていない。

 創価学会のライバルである立正佼成会は献金型。喜捨金と呼ばれ、各地域で行われる法座や、杉並区本部の団体参拝の機会に献じられる。信者が増える時は急増するが、退勢の時に急減する傾向が強い。1956年頃がピークで、1994年で300億円としている。

 真如苑は家元制度型。いま最も伸びていて公称の信者数は93万人。接心と呼ぶ瞑想する祈りの修行で、指導者の助言がある。この修行を重ねることで、助言する側になる。運慶作の大日如来坐像を15億円で、東京ドーム20個分の日産村山工場跡地を739億円で購入した資金力には驚くしかない。

 新宗教に膨大なカネが集まるには伏線に「熱狂」がある。その熱狂は長くは続かない。巨大な建築物はその維持費も高く、その捻出にも事欠く事態が容易に想像できる。既存の仏教。神社も決して例外ではない。確かなものは何ひとつ存在しない。その諦念の突き詰めたところに、新新宗教の誕生する余地があるのか。それとも砂漠の荒野をひとり進むしかないのか。

 さて、統一教会が暴き出した大きな闇を意外に深く、大きい。

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