「アウシュヴィッツ潜入記」

 あのアウシュヴィッツ収容所に自ら志願して潜入した男がいたのか。どんな男が、何のために潜入し、果たして生き残れたのだろうか。そんな疑問が矢継ぎ早にあふれ、興味がそそられる。書名というのはそれほど大事なのである。「アウシュヴィッツ潜入記」、副題は「収容者番号4859」。このたぐいは、やはりみすず書房だ。定価は4500円、初版は2000部だろうか。総額900万円からコストを引いていくと、ギリギリだ。定価がそのギリギリで決めているのがよく理解できる。「夜と霧」を呼んだ70歳過ぎが辛うじて払える額だ。その労苦に応えるべき購入すべきだが、書棚からあふれている現状に言い訳を見つけて、申し訳ないと思いつつ、3日に渡っての立ち読みとなった。みすず書房よ、許されよ。

 ナチス・ドイツの攻撃でワルシャワが陥落したのは39年9月。そのちょうど1年後、ワルシャワの路上で兵士も市民も無差別に逮捕されるナチスの一斉取り締まりが日常化していた。ポーランドの情報将校ピレツキは意図的に捕まってアウシュヴィッツに送られた。当時ロンドンのポーランド亡命政府は、新設のこの収容所の目的を探っていた。志願したピレツキの主な任務は、収容所の実態を外部に流すこと、そして同国人の収容者仲間を密かに組織し、もし連合軍による空爆があったらそれに呼応して武装蜂起できるよう準備を進めることだった。

 昨年末のブログで書いた「独ソ戦―絶滅戦争の惨禍」を思い出される。スターリンとヒットラーの闘いである。このふたりの狂人にもてあそばれた末の人類史上最大の惨劇は、激闘だけでなく、憎しみからのジェノサイド、収奪、捕虜虐殺と際限なくひろがり、死者の総数はソ連で2700万人、ドイツで800万人を超えた。
 さて、ピレツキである。困難をかいくぐり、彼の情報は翌年初頭から連合軍に届き始める。まずポーランド人政治犯の処刑、独ソ戦が始まるとソ連軍捕虜の大量処刑、さらにユダヤ人の「最終処分」のニュースは、他のルートに先駆けて伝えられた。収監から3年近く、ピレツキはみずからも飢餓、チフス、拷問に耐えながら任務を全うしようとするが、空爆と武装蜂起は軍上層部の反対で実現しない。彼はついに見切りをつけ、二人の仲間と脱走した。
 この本は、45年にポーランド軍上司に宛てて書かれた命を賭した最終報告書。全編が強靱な意志に貫かれ、しかし事実を淡々と綴ろうとしている。冷戦後も長らく、ポーランド語原本のまま埋もれていたのが、2012年にはじめて英訳・出版された。8年を経て邦訳されたのである。そして、9月19日朝日新聞はアウシュヴィッツ公式ガイドを20年続ける中谷剛の思いを伝えている。すぐにわかったふりをするな、という警告。
 そして、脱走したピレツキ自身は、ドイツの敗戦によってポーランドに対するソ連の影響力が強まるなか、今度は反ソ地下抵抗運動に参加する。しかし47年、一党独裁体制を強めた祖国の共産主義政権に逮捕され、翌年に処刑された。

 ナチスに勝利した仲間が、今度は敵にまわる。勝利の中に胚胎している矛盾が露呈して、次なる粛清とつながっていく。朝鮮で同じ悲劇を繰り返した「革命は来れども」(北影一著 河出書房新社)もぜひ、読んでほしい。

 さて、小市民の老人は富山県知事選で市民派候補・かわぶち映子を応援して、もたもたしている。戦後民主主義、高度成長を享受した団塊リベラルの小さな恩返しのつもりだ。

 

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