安心してサボれる会社をつくろう

社内に渦巻く不満と嫉妬、きしむ成果主義。そんな見出しがビジネス書に躍っている。弱肉強食の動物じみた人事制度が大きく揺らいでいるようにもみえる。そもそもカネや出世競争で煽りたてたところで、人間の複雑なメカニズムが動くはずがない。それほど人間は単純なものではないだろう。またどんなに人間を選別しても、プラスマイナスした総和は変わらないように思う。作用があれば必ず反作用があるという簡単な原理を見落としてしまっているとしたら、経営者の想像力の貧困としかいいようがない。

成果主義の対極にある働き場所があってもいいなと思っていたら見つかった。浦河べテルの家。北海道浦河町、日高の襟裳岬に近い太平洋沿いの人口1万6千人の小さな町にある。昆布とサラブレッドの町で人口1万6千人。浦河赤十字病院の精神科を利用する当事者と地域の有志によって、1984年に開設された。お上のいいなりのお仕着せな精神障害者授産施設ではない。ここのすごいところは商売をしていること。88年12月に「地域への貢献を旗印に」10万円の元手で仕入れた日高昆布を全国に売りに出したのである。現在の年商1億円。日高昆布の加工販売はうまいもん事業部。文書入力と各種べテルグッズの販売をするOA事業部。ビデオ「精神分裂病を生きる」販売のビデオ事業部。自らの日常活動をビデオにして販売するという商魂である。そして地域の養豚事業「エコ豚クラブ」の支援、食肉の配送、イベントの企画、運営チケットの販売などを行う地域ふれあい事業部。これらを全国各地から集まった16歳から70歳代までの150人で活動している。病院に入院している人もいれば,自宅,アパート,グループホームから通っている。

地域貢献の発想というのはこうだ。健常者として社会復帰しようとしても、受け入れ側の方が軋んでいれば所詮は無理。再入院はまちがいない。そうであれば病気そのまま抱えて社会に出ようではないか。障害者のために何かをしてもらおうではなく、健常者と地域社会のために何が出来るかを考え、やっていこうというもの。「あんたたちのような頭のおかしい人に商売なんかできるわけがないっショー」に「そんなことまでいわれてチクショー!つくるべ!絶対会社つくるべ!」となった。今ではべてるに交われば商売繁盛といわせている。初期の段階で、異業種交流会に集う経営者に出会えたのが幸運であったと思う。商売というのは、市場に評価されないと継続できない。確かに苦労は多い、しかし「生きる苦労」という極めて人間的な、あたりまえの営みを取り戻したいという思いがここでは強いのだ。

そして、安心してサボれる会社だというではないか。19歳で精神分裂病と診断され、精神病院でよだれが出るほど薬を飲まされて、すごく閉鎖的で管理的な扱いを受けた経験を持つ下野勉さんの発案。仕事がつらいのに「サボりたいのにサボれない」。それが病気の原因。それなら「まず一人ひとりが,いろいろある仕事を全部覚える、自分がいなくなった時でも、他の誰かがすぐに代わりになってくれる会社がいいな」。ということでスタートした。もちろん平坦ではなかった。そして、一人でやっていた仕事がいまでは10人のローテーションでやっている。毎週のようにミーティングを開き、コミュニケーションを図る。話し合いは支えあい、三度の飯よりミーティングが合言葉である。

ここまで引っ張ってきたのがソーシャルワーカーの生良さんと浦河日赤病院精神科部長の川村敏明さん。そろって無防備な人だ。それだから人が集まってくる。着任当初は入院患者が近所に納豆を買いに行くにも「三日前の外出届」が義務付けられていた。退院者が殺傷事件を起こし、住民の眼も不信に満ちていた。いまは退院者たちが学校に招かれて体験を話す。「分裂病という病気に誇りを持っていて素晴らしいと思いました」というファンレターも舞い込むという。

さて、軋む企業社会から、心を病む人が数多く出ているのではないかと思う。健常なる社会の方がおかしいのである。とっとと逃げ出して∧浦河べてるの家∨に駆け込むか、近くにべテルの家をつくることであろう。
統合失調症。精神分裂症の新しい名前である。このほど横浜で開かれた世界精神医学会に合わせて開催された日本精神神経学会総会で変更が決まった。病名を変えただけで偏見差別がなくなるわけではない。向谷地さんはいう。精神医療の世界で垣間見たのは、医学は囲学であり、看護は管護であり、福祉は服祉だった。つまりは「囲い込み」と「管理」と「服従」の構造だ。いまも続いているのなら、名称の変更の前にその解決が先決だろう。

しかし、人間というのはやっかいな代物なのである。弱い人かと思えば強かったり、強いと思う人が意外に弱かったりするのだから。

【参考図書】
べテルの家の「非」援助論
医学書院刊2000円

© 2024 ゆずりは通信