精神科医 野田正彰

 人間の精神とは何か。心に置き換えてもいい。どこに存在して、どうやって反応するのか。その精神が病んだ時に、精神科医はどんな兆候を察知して、いかなるエビデンスで治療法を決めているのか。内科医の武器は聴診器、外科医の武器はメス、精神科医はどうか。理想としては言葉だという。しかし病んだ心に働きかける言葉を持ち合わせている精神科医はどれほどいるだろう。長期入院という病院漬け、精神科外来の増加による薬漬けという現状を、わが同世代の精神科医・野田正彰と一緒に考えたい。「社会と精神のゆらぎから」(講談社)は波乱の70余年を回顧している。

 高校生活までは高知、大学は札幌に飛び北大医学部。教養の頃から精神医学に進むことを決めていた。病理を学べば人間ではなく病理そのものに意識が向く、精神医学は人間全体を理解しなければ対応できないとの思い。精神は他者との関係や、両親・家族・地域社会との相互交渉で創られ、さらに長い人類史という歴史も背負っている。野田はそんな認識に立って、精神病と犯罪と遺伝を三位一体と考える保安処分容認論に真っ向反論してきた。

 最初にぶつかるのが、北大精神医学講座を牛耳る時代錯誤の権威的な教授陣。医学も戦前を清算していない。軍国主義の軍医養成制度を引きずる。赤十字病院、国立病院も根っこは陸・海軍病院にさかのぼる。若い医師を無給で使い捨てにする医局講座制は、軍医を速成するための手法そのもの。旧弊を残す医療に、医局解体を求める青医連活動で先頭に立つ。67~69年の頃である。こんなエピソードも。哲学者・ヤスパースの「精神病理学総論」を原著で読むために、船医となって2か月アラビア海を航行した。人間の全体とは何か。野田はそんな欲求に衝き動かされていく。

 北大の限界を知り、外に出ようと決断。奈良の私立病院に先輩と2人で乗り込んだ。360定床に420人の超過入院、医師は週2~3回顔を見せるだけで、多くの患者は行路病者扱いでの隔離収容という劣悪さだった。3か月寝る間も惜しんで診療をし、看護師の教育もやり、家族との対話にも没頭した。そしてある日、院長に呼び出された。明日から病院への立ち入りを禁ずる、との一言。病棟と病棟の間を閉ざす鍵、鍵を持たされて巡回する医師の問題意識がここでの分岐点。安逸をむさぼる医師も多い。医師の解雇ということで注目を集め、家族などの強い要請もあり地位保全の裁判闘争の後、2年半要して勝訴した。この2人の医師をスカウトしたのが滋賀の長浜赤十字病院。裁判中で常勤になれないのを幸いに、外来・往診に精力を注いで、家族や市民と出会う中で、精神病者への排除差別がいかに強いか、行政と精神病院とで収容が構造化されているかを知らされた。非常勤なので1日は奈良へ、1日は京大で研修の日々となるが、京大が新しいステージを開いてくれる。

 京大の文化人類学に、精神病を比較文化、文化変容の視点から研究したいと申し入れる。来るもの拒まずの京大では社会学、民俗学などのコラボも試みることができた。そして到達したのが、人間の精神を50万年前から続く類人猿が獲得した精神がどのように伝わっているのか。オスによるメスの支配はなく、自由で多彩な性交渉が日々の挨拶行動として行われ、嫉妬も食べ物の独占もない。われらが祖はそんな平等世界を生きていたのは間違いない。勿論そこには精神病は存在しない。統合失調症も医学的な疾病ではないし、組織の病理も発見されていない。うつ病にしてもほとんどが自然治癒する。文明社会が生み出したのだ。

 こうした野田を育んだのは、四国・北海道の山脈を駆け巡った登山で獲得した孤独の中での判断力、北大新聞部での評論と表現能力、そして青医連での組織力であろう。あとがきで、想像以上のフレイルに怯えているが同感である。

 

© 2020 ゆずりは通信