61年目の8月である。近くの明文堂有沢橋店で発見したDVD「人間の條件」全6部にいま一度挑戦してみることにした。弛緩し、堕落しきったわが心根に活をいれてくれるかもしれないと思ったからだ。しかし、感受性も衰えてしまったのかもしれない。DVDの限界を割り引いたにしても、記憶に残る高揚した感興は戻っては来なかった。そんな自分にがっかりしている。
40年前、東京・池袋の人世座。確か夜9時からの上映であった。「人間の條件」全6作を連続して一挙に、上映時間は9時間。コッペパンを齧りながら、身じろぎもせず、食い入るように見入ったスクリーンだった。軍隊という絶対的な権力と対峙して、ヒューマニズムに徹しながら抵抗して生きるということはどういうことか。そう問いかけていた。自らの特権的なものは剥奪される。それはよいにしても、ヒューマニズムの対象となる層が敵対してくる皮肉だ。中国人捕虜を虫けらのように扱う労務管理者として、初年兵を苛め抜く古参兵として、立ち向かってくるのだ。本来同じ境遇であり、収奪される立場である人間同士が、敵対しなければならない。そんな事を日記に書き留めていた。
それがどうだろうか。原作の五味川純平なのか、それとも小林正樹監督か、主演の仲代達也か。生硬さ、晦渋さが目に付いて仕方がない。何かが欠けている、そんな思いが終始つきまとった。映画を見るにしても、時代の空気、見るものの置かれた立場といったものが影響せざるを得ない。断言していい。戦後民主主義は、全くの気分であり、知的なお飾りに過ぎなかった。われわれ自身の存在を掛けたものではなかったのだ。
いまひとつの思惑もあった。これも断念せざるを得ない。撤退相次ぐ町の映画館再生への支援策である。見たい映画、見せたい映画を市民が自らの資金でフイルムを借り出して、自らチケットを売りさばこうというもの。その第一弾として、人間の條件を考えていた。理想と現実はなかなかに難しい。そういえば、総曲輪ウイズシネマも公設民営で市街地活性化策の一環と位置付け、華々しく打ち出したが、弾みがつかない。地方官僚が障害になっているようにも聞く。官発想を民に丸投げしては、誰も寄り付かない。これにもがっかりだが、残り少ない人生で、落ち込んでばかりというわけにはいかない。
それにしても衝撃的な訃報が多い。まず黒田寛一が6月に亡くなっていたのが明らかになった。通称クロカンで、日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派(革マル派)の最高指導者である。旧制東京高等学校を中退後、出版社を自営。その傍ら独学でマルクス主義の研究・著作を重ねた。晩年は失明していたが、最期まで革マル派の教祖的存在であった。革命に殉じた生涯だが、死の床にあって何を思っていたのであろうか。特に中核との凄惨な内ゲバは何だったのか。享年78歳。
そして藤村信がパリで客死した。本名は熊田亨。元中日新聞パリ特派員、昭和45年退社してからは雑誌「世界」などにパリ通信などで健筆を振るった。生半可な知性ではない。資料はもちろん、これと思った知識人に必ず的確な取材をしている。ヨーロッパの近現代史を学ぶなら、彼の著書を丹念に読むことだ。享年82歳。
大島次郎元新聞労連委員長が逝った。背が小さかったが反骨の人で、昭和56~57年新聞労連で一緒だった。中途半端な、馴れ合い労使交渉を最も嫌い、いつも檄を飛ばしていた。昭和62年5月朝日新聞阪神支局襲撃事件の時に、支局長をやっており、亡くなった小尻記者への思いを重ねて、運動に飛び回っていた。享年67歳。訃報がもたらしてくれるエネルギーもある。これを素直に汲み取ることも、残されたもののありがたさである。
クーラーのない我が家だ。冷たいビールでしのぎながら過ごしている。やせ我慢ではなく、体調は頗るいい。
人間の條件