6月15日に考える

6月15日は、安全保障を考える日と自らに課してみたい。この2日間の菅首相答弁は「在日米軍の抑止力は極めて重要。(辺野古移設で)米国との再交渉や閣議決定の見直しを行うつもりはない」に終始している。この答弁を検討する菅、仙石、枝野は、どんな対話をしたのだろうか。
 「余計なことは語らずに、参院選を乗り切ることだけに傾注しよう」「沖縄の負担軽減を前面に、ひたすら頭を下げて、カネも手間暇も惜しまないことだ」「米国対策は外務省一本に絞るが、オバマの人脈ルートも何とか見つけ出し、起死回生策は本当にないのか、官邸ルートでやってくれ」「守屋元次官が他人事のように約2兆円を捨てましょうといったが、気が重いな」「加えてグアム移転も日本持ちということも忘れるなよ」「密約手法でもなければ、乗り切れないというのがよく理解できるな」こんな具合だろうか。
 手控えていた山崎豊子の「運命の人」全4巻を、発刊から1年遅れで通読した。ご存じ沖縄密約をスクープしながら、女性事務官に秘密漏洩をそそのかしたとして有罪となった西山太吉・毎日新聞記者がモデルの小説だ。その後、米国公文書から密約が存在することがわかり、その情報開示と賠償訴訟で完全勝訴を勝ち取っている。山崎豊子の作品は粘液質な取材(彼女の取り柄なのだが)が手を取るように展開で、面白いが違和感を感じる。それはさておき、西山記者の凄まじい記者魂とその後の転変には恐れ入る。沖縄返還に賭ける佐藤栄作首相とこれをサポートする福田赳夫蔵相の野心が交渉を捻じ曲げ、それを知り抜く米国が赤子の手をひねるように交渉を進めていくのがよくわかった。密約の存在を自ら明かした吉野文六・元外務省局長が、核抜き本土並みを嘘で塗り固めての“きれいごと”過ぎる交渉と、佐藤首相の密使・若泉敬がキッシンジャーとことごとく先回りして、外務省を差し置いて交渉が進み、それを追認せざるを得ない状況に苦悶する様も、外交の難しさを教えてくれる。
 思えば日米安保条約は、51年のサンフランシスコ講話条約と同じ日に調印されている。戦争を放棄した日本が、その裏で軍事同盟を結んでいるいびつさ、不平等さを孕んでいた。米ソの代理戦争と化した朝鮮戦争がそうさせたのであり、米国の占領意識とその占領で植え付けられた卑屈さがそのまま条約となっている。それも自業自得といっていい。ポツダム宣言を8月の最初の数日のうちに受け入れていれば、原爆の投下も、ソ連の参戦もなく、もちろん朝鮮の分割もなく、朝鮮戦争は起り得なかった。悔やまれてならない「歴史のもし」であるが、この罪業を引き受けていかなければならない
 60年の安保改定は岸信介の執念だけで自然成立したが、この時の大衆運動が自民党政権の大きなトラウマとなった。70年では、何ら議論することなく自動延長とした。そして選択したのが沖縄返還である。その返還のために密約などで支払った代償が、3億2000万ドルというカネばかりでなく、米国の意を忖度し、迎合していくしかないという交渉態度である。それがいまに続き、正面から向き合うことなく解釈変更、解釈改定で済ませてきた。05年の「日米同盟未来のための変革と再編」、06年の「再編実施のための日米ロードマップ」で、米国の世界戦略に組み込まれてしまって、どうにも身動きが取れなくなっている現実である。鳩山も観念するしかなかった。
 さて、菅新政権のリアリズムはどこまで考えているのであろうか。辺野古移設は、身を切られるような代償であるがやむを得ないとするのかどうか。選択肢を明確に、それによってどんなことが起きるのかを提示すべきだと思う。血のにじむ代償と引き換えに、2050年までの基地全面返還平和へのロードマップぐらいは宣言すべきだ、それぐらいの根性はもっているだろう、菅君。
 参照/「沖縄密約」(岩波新書)、世界6月号「迎合、忖度、思考停止の同盟」(水島朝穂早稲田大学教授)

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