笑うしかないか

「ちょっと、今日のおれ、すごいな」。立川談志は自分の落語に酔い痴れて、ついこう漏らして、また本筋に入っていったという。架空の演目を演じながら現実に戻し、また架空に返す。それを淀みなく、むしろそうすることで、その演目の良さが際立ってしまう。それも名人芸かもしれない。寄席はやり直しがきかない本番勝負。携帯電話などは最もやっかいな代物だ。落語好きに若者は少ない。若者は慣れているから電源の切り忘れという事はない。生死確認コールなどと家族に持たされているじいさんの場合だ。演じている最中にピンピンピーンと鳴り出す。まず自分のものだと気づかない。気づいても操作に手間取ってモタモタする。その時間の長く感じること。さあ、どうする。落語家の力量はそんな時に判明する。無視して続けるか、それとも切れてしまってお客を怒鳴りつけて台無しにしてしまうか。そ知らぬ振りして、話を携帯電話が出てくるように変えて、その客とやり取りし、また演目の筋に戻してしまう。そんな水際立った落語家として、談志、志の輔、談春などを挙げている。
 東京新聞の小さな書評に引かれて、寄席のエピソードを取材した「青い空、白い雲、しゅーっという落語」(双葉社)を読んでいる。フリーライターの堀井憲一郎の著で、年400回ほど寄席に出かけている。これを読むと、談志のそれは一度見てみたいと思う。談志の歳を考えると、急がなければならない。
 さて、その弟子の志の輔だが、わが衣料品店に度々顔を出していた。新湊・立町商店街。この商店街の骨董店「竹内商店」で育ったのが彼である。昭和35年頃だから、彼は5歳程度か。「あの竹内のガキが志の輔け、ちっちゃいがに、よう口のまわった子やったちゃ」というのがわが両親の印象。さもありなんと納得の様子だ。
 その志の輔も、どんな状況であれ、客を“落語の状態”にするのが落語家の必要条件としている。つまり、場が読めて、その場にあったことを当意即妙にしゃべれるということ。その点では、師匠・談志は遠く及ばない天才だとしている。余談だが、談志は山手線の中で、稽古をつけたという。自分は座席に座り、通路に弟子を静座させて、さあやれというのだ。いつでも、どこでも“落語の状態”という鍛え方である。紙一重の世界でもあるのだ。
 もうひとつ忘れられないことがある。富山の婦中町にある千里山荘で、3代目三遊亭円歌の独演会を開いた。10年前のことで、組織していた「にいかわレディス」の例会である。歌奴時代に「しんお~くぼ」「やまのあなあな」などを演じて人気を得、また日蓮宗で得度をして、円法とも名乗っている。自分の両親、妻の両親、亡くなった先妻の両親の老人6人を引き受けて介護をする「中沢家の人々」を新作で発表したばかりの時で、これを演じてくれた。その時、出席が危ぶまれたガン末期のI夫人が杖をついて会場にやってきていた。椅子を用意し、邪魔にならない前の方に席を設けたのだが、笑い転げるように笑ってもらった。期せずしてのうれしい感動で、円歌の仕草、語り口が今でも目に浮かぶ。1年を待たずに亡くなられたが、あの笑顔がその時の参加者全員に共有されている。音楽療法もあるのだから、落語療法もあっていいのだ。笑いこそ免疫力アップに欠かせない、
 さて、笑ってしまいたい世相になってきた。東京新聞3月6日朝刊、辺見庸が「水の透視画法」で深い絶望を詠んでいる。麻生首相である。「よく笑う。何が楽しいのか、真白い歯をみせて、かれはよく笑う。笑いながら、首をちょいと心もち横にかしげて。下手な子役か女形みたいに、さも恥ずかしそうにしてみせたりもする。お得意の気障な所作なのだろう。よわい70に近いのに、ときにお稚児のような表情をしたりして、さても面妖である」。英雄気どりの勘ちがい男は、日本の腐敗した権力を表象、と容赦ない。
 また、あの酩酊会見財務相の海外出張代金だ。2時間を待てば定期便があるのに、何と4100万円をかけてチャーター便を使っている。怒りを超えて、笑い飛ばすしかないか。

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