復興における経路依存

被災者に直接支援する制度に切り替えよう。復興予算をどれだけつぎ込んでも、被災者に届かない。「一生懸命やっているが、自分のやっていることがどれだけみんなの役に立っているかわからない」といって、大槌町に宝塚市から派遣されていた45歳の応援職員は自殺した。資金は投じられ、職員も真面目で熱心である。それでも復興が進まないのは復興計画や実行方法が間違っているからである。自民党政権は震災の起きた11年から5年間で25兆円の復興予算をつぎ込むことを決定し、一部流用はあったにせよ多額の予算が現地に投じられている。公共事業と称して防潮堤・護岸工事・盛り土・高台移転など進むが、いまだに仮設住宅から抜け出せない。そんな現実を前にしても誰もいい出せない。東北の再生なくして日本の再生はない、というワンフレーズで被災者を見下げたように叫ぶだけの為政者。もうそろそろその欺瞞性に、気がついてもいいのではないだろうか。
 それにつけても、わがふるさと新湊のことである。総工費485億円をかけて新湊大橋が完成し、海岸沿いの臨海道路は快適であるが、堤防ひとつで隔てられた中町、奈呉町の旧市街のさびれようは天国と地獄の違いである。7~8割は空き家となっている。亡母の実家も朽ち果てるままで、当主はアルコール依存から抜け出せず入院している。市営住宅を建てて移住を勧めるが、家賃が発生するのでおいそれと進まない。新湊市から射水市への平成の大合併も行政力の大きな減退につながっている。月に一度程度の新湊通いだが、必ず奈呉の海を見る。建設事務次官を勤め、新湊名誉市民でもある亡き永田良雄参議院議員への依存がこんな結果をもたらしたとの思いもかすめる。これを経路依存と呼ぶ。
 小熊英二・慶大教授が「ゴーストタウンから死者は出ない」(世界4月・5月号)で復興政策をやり直そうと提言している。仮設住宅の費用は238万円だが、東北の寒さゆえに追加工事が発生し、平均744万円となっている。耐用年数は2年程度だ。これに被災者生活支援法により300万円が直接支給され、岩手県、大槌町の独自支援金約300万円を加えるとざっと一世帯あたり1300万円となる。その費用で恒久住宅を建てるか、住宅再建支援として直接支給すれば、この上ない支援になったことは間違いない。
小熊が指摘する従来型災害対策の誤りとは、復興の主体や支援対象が地方公共団体であることだ。これが旧来の地域のボス、つまり自民党的体質を持った土建屋的発想になっていることに加え、急いでやらないと中央政府から見放されてしまう、という経路依存にしがみついている。防潮堤や高台移転などはほとんどが既定のものとして進められていく。産業基盤もなく数十人の高齢者だけが住む新規造成団地というゴーストタウンになることは間違いない。ある住民はみんな自発的に高台に移転するのにどうして防潮堤がいるのかと聞いたところ、行政は農地や、公園・道路などの公共資産を守るのに必要であると主張したという。被災地では「人命の尊重」ですべてを正当化していく。廃棄される予定の仮設住宅に冬季装備が増設されるのも、ひとりでも仮設住宅の不備で死亡する被災者が出れば、すべての正当性が崩れてしまうとして無条件だ。経路依存にしがみつき、表面だけを取り繕うだけの復興となっている。ここは、少し立ち止まって考え、勇気を持ってやり直すべきだというのが小熊の主張だ。税を使った住宅再建は特定個人の資産を形成することになり、法の下の平等に反し、「焼け太りは許さない」という呪縛から抜け出す時でもある。
 はてさて、高校同期の邑井與一の訃報だ。ブログ194「幸運のエアシート」で少し言及した野球部キャッチャーである。持ち前のセールストークで紳士服を、カツラを、健康器具を売りまくった。県内長者番付にも登場したが、無類の賭け事好きでもあった。一度飛行機で一緒になり、悪天候で小松に着いたのだが、運転手が付いた車で送ってもらったことも。冥福を祈る。

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