東京に住む愚息に米を送っているが、他の選択肢を考えるまでもなくクロネコヤマトに持っていく。営業所の配置もきめ細かくどんどん増やし、対応も見る見る進化させている。矢継ぎ早の設備投資と思うが、ひとりの消費者にも見えるのだから、経営も必死に走り続けているのだろう。意思決定の仕組みをみてみたい。
最近明らかに老人層にも消費行動の変化が見て取れる。スマホ、コンビニ、宅配という生活インフラが若者から老人へと浸透していき、老人の生活様式ががらりと変わろうとしている。遅まきながらの実感だ。
そんな中で、こんなニュースに反応した。佐川急便がネット通販大手アマゾンの取引を返上したという。当日配達に無料配送を謳うアマゾンの理不尽な料金交渉に耐え切れなくなったのだ。これは撤退や敗北ではなく、顧客を選んだと理解するべきであろう。アマゾンの日本上陸当初は日本通運が配送を担っていたが、09年に佐川に切り替わり、その後クロネコと2分する時期が続いた。今後はクロネコ1社でやることになる。国策会社であった日本通運の衰退は、日本郵政と同じく変化に対応できない企業の行く末を暗示している。こうした激変する物流こそ、時代を占うシグナルであるかもしれない。
いつもの手法ながら、こんな回想である。昭和25年頃であろうか、衣料を商う父は大阪への仕入れから帰ると、翌日国鉄の貨物駅である新湊駅(現・万葉線六度寺駅)へチッキを取りに行ってくる、と出かけた。チッキというのは託送手荷物のチケットのことだ。旅客の手に余る重い手荷物等を運んでくれるのだが、送り出すときに乗車券を見せて、料金を払い、チッキをもらう。工兵であった父は荷造りはお手の物で、藁縄できっちり縛られたダンボール箱は名人芸の域であった。国鉄の貨物と郵便小荷物しか手段がなかったのである。
さて今回のキーワードはロジスティクス。それから60余年、想像もつかない物流革命が起きたのだが、そこにはロジスティクスという生産地から消費地までの物流の全体最適化を目指すマーケティング思考がある。もともとは軍事物資の輸送や補給を研究する兵站学のことだが、いまでは会社名にもそのままくっついている。日本の物流をここまで牽引してきたのは亡き小倉昌男が率いてきたヤマト運輸であることは間違いない。運輸許認可に果敢に挑み、風穴を開け続けてきた精神力は語り伝えなければならないだろう。
しかし、ひとり勝ち残ったように見えるヤマト運輸にも、間違えば消耗戦にひとり取り残されていることにもなりかねない。誰にも行く末はみえていないのだ。
老人の想像力はこんな風に化学変化する。ロジスティクスといえば、アマゾンの小田原にある世界最大物流センターで必死にモノを梱包し続ける派遣労働となる。日本通運の管理職が「追い出し部屋」からアマゾンへの派遣となり、ピッキングなる作業に従事させられ、作業量がカウントされる。そのカウント数に追いまくられる労働が永遠に続く。まるでチャップリンのモダンタイムスである。企業敗残兵の末路といえば余りに哀しい現実だが、ロジスティクスは文字通り軍事物資をいかに早く、安全に、安く届けられるかを戦っている。業界は戦時下にあって最終戦争を戦っているといっていい。
はてさて、スマホ、コンビニ、宅配という三種の神器によって進んでいく究極の利便性はどこへ行き着くのであろうか。
山崎豊子の訃報だが、彼女にこの業界を取材させて書かせてみたかった。そして文芸評論家・秋山駿の訃報である。時代のスピードは想像以上に速い。人間の生理感覚に合ったスピードにしなければならないのだが、つまらぬことに共振して、本質は何かを見失っていることは確実だ。
参照/「週刊東洋経済・9月28日号」
ロジスティクス