生き残りに苦しむ大学

このまま少子化が進むと2009年には、大学・短大「全入時代」がやってくるという。いまや定員割れは当たり前で、大学の倒産もあり得る時代らしい。そんな状況を如実に反映して昨年の4月。洗足学園魚津短大の閉校のニュースが飛び込んできた。この2年足らずの間、どうした展開になるのか身近で見つめてきた。いやとても見ちゃおれないと、おせっかいにも口も出してきた。閉校まであと3ヶ月、一番焦っているのは自分ではないかと思えてくる始末。そんな矢先にセミナーでの出演依頼が舞い込んで来た。

12月22日「大学・短大の合併・統廃合・連携の実際」セミナー。会場は神田駿河台・中央大学駿河台記念館。地域社会からの視点でレポートをしてほしいとのこと。頼まれると大体がノーのない単細胞男。随分と後悔することもあるが、そもそも世の中、無駄な経験というものはない、あるがままに受け入れていこうというのが持論。資料はメールで送付した。郵便やFAXでないのが、何とも気分がいい。

さて当日。JRお茶の水駅に降り立ったが、ビルが立ち並び、昔とは風景一変。どう行けばいいか見当もつかない。2回尋ねてやっとたどりついた。参加者は30人程度、大学短大の学長、理事長、事務局長に類する人たちだ。テーマは「大学陶汰期のトップマネジメント」、「経営破綻プロセス。実態と再生シナリオ」、「法人合併、名古屋聖霊学園との合併6年の点検評価」。そして最後が「洗足魚津短大閉校と地域社会」。出演者も早稲田大学副総長、南山大学副学長、東大法学部卒業後スタンフォードでMBAを取得したファイナンシャルプランナーとこれまた多彩なメンバーである。見劣り、気後れがしないでもないが、努めて平静、平常心を装うことに。語り口は得意なところからと、地域経済の歴史と今日現在の崩落寸前のありさまから始めた。そして洗足学園の歴史へと。

洗足学園は、大正12年創業者・前田若尾の私宅8畳二間の裁縫塾にる。後継の前田豊子に引き継がれ爾来70余年。学生総数6250名を超える規模に。魚津短大の開学は昭和55年。何よりも大きかったのは、前田豊子が富山県出身で魚津高等女学校の卒業であったこと。加えて当時の清河魚津市長の熱意に尽きる。音楽科(ピアノ・声楽)100人、文科(英文・国文)の定員合計200人。その意欲は派遣教授の人選に見て取れた。学長でもなく文科長でもなく、文科主任教授として赴任したのが池田弥三郎。肩書き御免の、洒脱で粋な江戸っ子の面目躍如といったところ。慶応を退任して日をおかずの赴任。昭和57年7月に急逝するまでの2年半、魚津の街に暮らし、自らが溶け込んでいった。その時、慶応の少壮若手の研究者、春日、八木、友尾の3人も引き連れてのもので、国文科は池田一色の観であった。洗足といえば池田弥三郎と、知名度は全国区に。魚津市民にとっても何とも誇らしく、うれしい大学誘致であった。教授の酒好きはつとに有名。夜毎魚津の街を徘徊し、居酒屋で、祭りの踊りの中に常に彼の姿があった。生徒数のピークは平成4年の550名、定員400名をはるかに超えていた。閉校を決める寸前は250名。あっという間のこの落差である。際立つのはゆとりのあるうちに決断した前田寿一理事長の果断さだ。それに引き替え、閉校発表から存続を模索する行政のうろたえぶりは、何ともうら哀しいものがあった。そして今日まで無策空転の連続である。しかしここにきて、ようやく微かな光明が見えてきている。民間による市民大学塾の立ちあげだ。そこに希望を感じながら、次のように締めくくった。「短大の閉校は、この地域に新しい試練を課している。いまのもたれ合いの仕組みでは、早晩地域が共同体としてやっていけなくなるのは明白。とすれば、他の地域にさきがけての試練。地域自立のシンボルとして、この無償で譲渡される2万坪の敷地、10億円に相当する建物設備をどう生かしていくか。問題は理念と人材だが、とりわけ人材に尽きる。そしていまが挑戦する絶好で、最後のチャンス。この機会を逸すれば、地域の崩壊も過言ではない。ここにいらっしゃる皆さんの意見も聞かせていただきたい」。

既に大学は大学生だけのものではなくなってきている。広島大学では60歳以上の高齢者を対象にした「フェニックス入学制度」が2001年から導入されている。水橋高校の同窓会長は34歳にして、富山医薬大大学院生という具合。社会人入学も今や当たり前の時代である。市民大学からスタートして本物の大学にしていく逆のコースだって不可能ではあるまい。そんな心意気を願っても祈ってもいる。

ところでわが家にも来春の大学受験生がいる。サッカー完全燃焼で高校生活を全う。人生急ぐことはない。とりあえず駿河台予備校を目指せ、と檄をとばしている。昔は国立一期校の実力がないとこの予備校には入れないといわれ、入学を果たせば来年の栄冠はほぼ間違いなしだったが、そんな神話は生きているのであろうか。それはどうでもいい。このまま大学にはいってもそれは高校の延長でしかない。きちんとした日本語で、自分の考えを話したり、書いたりする能力を身に付けてから大学があってもいいのではないかと思っているのだが。

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