コロナ無常

 コロナ禍というが、うれしい発見もある。もうひとつの居場所が見つかった。富山空港2階奥にあるビジネスデスク。縦列に3席が並んで、コンセントもあり、なかなかの座り心地だ。左に目をやると立山連峰を眺めることができる。北陸新幹線開業で空港には敗北感が漂っていたが、コロナが更に追い討ちをかけた。客が消えてしまった空港内部は閑散として、誰はばかることもない自由空間。そして最大の利点だが、読書に飽きたら、隣接する富山県総合体育センターで、プールで泳ぐか、アリーナでのジョギングができる。その後にはサウナまで楽しめる。ひとり別天地といっていい。3月以来、ほぼ毎日の日課としている。1か月定期利用で9,700円。権力のホームステイ強制に抵抗した気分でもある。

 古い記憶だが、こんな男のことも記しておきたい。荒山柑(あらやま・かん)である。「博覧会の生き字引」と畏敬され、通称「アラ柑」と呼ばれて、一時代を画した。大阪万博では堺屋太一の片腕と称されて以来、沖縄海洋博、宇宙博国際児童年、つくば万博、バンクーバー交通博など主だったナショナルイベントには必ずその姿があった。83年7月から富山・太閤山ランドで開催された「にっぽん新世紀博」も、彼ひとりの能力に頼ったものだった。そのスタッフとして汗を流したわが友人たちは何も分からずに右往左往し、カリスマ・マジシャン荒山の掌の上で踊らされた。もちろん100万人を超える入場者を獲得し、成功した。

 これは想像だが、80年に県知事となった中沖豊は、この荒山柑とは同じ27年生まれの東大同期。その異才ぶりを知る中沖が、84年富山空港ジェット化で、空港ターミナルも新築することになり、周辺の都市整備構想も含めて依頼したのであろう。この時に、総合体育センターを隣接させるという企画発想が無ければ、この楽しみを享受することはできない。思えば、83年にオープンした産業展示館テクノホール、国道41号線から富山空港を結ぶ直線道路など、空港立地に伴う都市計画がぴたりとはまっている。

 今では悪名高くなった電通報には、こう記されている。電通で博覧会ビジネスに着目した豊田年郎・副社長の回顧談だが、「豊田さん、このアラ柑だけはまず挨拶にいって、徹底して仲良くなってください」と担当にアドバイスされ、「豊田」「アラ柑」は博覧会ビジネスでの名コンビと謳われた。しかし残念ながら86年9月、荒山は59歳で亡くなっている。

 コロナはこんなエピソードも、記憶の底へ消し去ろうとしている。政治権力は何でも力づくで、コントロールしようとする。数十年も経てしまえば、コロナに代表される自然はあらゆるものを廃墟にしてしまう。

 コロナ問題の本質を最も的確に論評しているのは生物学者の福岡伸一だろう。コロナに打ち勝ったり、消去したりすることはできない。無駄な抵抗はやめよ。種の中に多様性があれば、感染してしまう個体がいる一方で、逃げ延びる個体もいる。進化は決して強いものが生き残るのではなく、多様性を内包する種が生き残ってつないでいく。長い時間軸を持って、リスクを受容しつつ、コロナとの動的平衡を目指すしかない。

 しかし、無常と思いつつ、見逃してならないものがある。アベ政権のコロナ対策の愚かというしかない対応だ。「誰でも、どこでも、何度でも」PCR検査しかないのだが、いつになったら実現するのか。政治、官僚の劣化は目を覆うばかりだ。

 空港のビジネスデスクで、生き残った75歳の老人は、流れゆく<いのち>を眺めている。我ながら、妙にわびしくみえる。

 

 

 

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