繋驢梏

杭につながれたロバが、逃れようと動き回り、つなぎ紐が杭に絡まって、身動きができなくなる。こんな状態を繋驢梏(けろけつ)という。森田療法を編み出した森田正馬(まさあつ、通称しょうま)が、よく使った。堂々巡りで、にっちもさっちもいかなくなり、身動きが取れなくなってしまう。やっかいな神経症に陥った症状でもある。現在のわが国の状況、いやグローバルと称する世界も、繋驢梏といえば妙にいい当てている。もちろんこの老人も、そしてあなたも。
 作家で、精神科医の帚木蓬生(ははきぎ・ほうせい)が「生きる力 森田正馬の15の提言」(朝日選書)を著した。この生き辛い世に、いま一度森田療法を見直そうとの思いである。こころの病がここまで広がり、ただ手をこまねいているしかない中で、格好のタイミングといっていい。
 森田療法で最も高く評価したいのは、薬を用いないことだ。この対極にあるのが「精神を切る手術」(岩波書店)といえるが、脳の働きというのはそれほど解明されているのだろうか。心の病を薬でコントロールすることも然り。素人ながら、この治療法の持つ独自性と先進性はもっと評価され、活用されていい。
 知られている絶対臥褥(がじょく)とは、患者はまず1週間から10日、ずっと臥床しているだけで、起きるのは食事と用便、洗顔、入浴ぐらいで、誰とも口をきいてはいけない。この期間に自分の不安感や恐怖感に直面し、苦悩の極地に向き合う。ついで、こんな自分ではいけない、動いて他人とも話がしたい、症状など二の次だと思い始める。
 人の悩みの大部分は、注意力を自分の内面に向けているために生じる。沈思黙考より手足を動かす「手考足思」で注意をそらしていく。日常生活の些事をきちんと繰り返し、外相整えば内相自ずから熟す、に到達する。禅僧の修養と思えばいい。
 さて、帚木だが東大の仏文科を出て、TBSに入り、九州大学医学部に入り直し、精神科医となった。森田療法の聖地といえば、自らが教鞭をとった慈恵医科大学と森田の理論を認めた下田光造のいた九州大学だが、帚木は九大精神科に学ぶが、森田療法に本格的に向き合ったのがパリであった。
 彼はこういい切っている。日々の臨床で森田療法を実践すればするほど、脳裏を去来すようになったのは、パリでの恩師ピショー先生がいみじくも吐露した言葉「私にも神経質の傾向があるので」でした。知性を授けられた人という存在であっても、大なり小なり神経質の傾向を有しており、森田療法は万人におしなべて通用するのです。森田療法に出会って以来、患者の治療にも用いるが、自分自身が生きるため、生きつくすための指針でもありました。08年急性骨髄性白血病を患うが、これからもそうあり続けるでしょう、と。
 初めて森田療法を知ったのは、渡辺利夫の「神経症の時代 わが内なる森田正馬」であった。次が岩井寛の「生と死の境界線―最後の自由を生きる」。そして書中では、脊椎カリエスで仰臥生活を余儀なくされながらも俳句に没頭する正岡子規を、シベリア抑留の過酷な体験の中で自分はこれを絵にするとした香月泰男を挙げる。与えられたどうすることもできない現実を受け入れ、それでも仕事に立ち向かえ。そして、石に齧りついても生きねばならぬ、と森田正馬は説く。
 とはいえ、落ち着かない日々だ。原因は、まるで3.11がなかったかのように絵空事を並べ立てる参院選が始まろうとしていることだ。

© 2021 ゆずりは通信