「声なき人々の戦後史」

 お前にできるか。就職して間もなくだったが鎌田慧の「自動車絶望工場」を読んで思わず、こう思った。鎌田は34歳の時、ルポライターでやっていくと決めたが、家族を抱え、取材費もなく身動きが取れない状況に追い込まれた。解決する道はひとつだけ、取材したい工場に就職してしまうこと。出稼ぎ農民から、自動車工場で季節工として働いた話を聞いた。ベルトコンベヤーの前で長時間立ち続ける仕事の辛さ、苦しさ。その農民はホンダだったが、トヨタはもっと厳しいらしいという。生来の取材アンテナがすぐに反応した。地元紙・東奥日報でトヨタの季節工募集広告を見て、すぐに弘前市職安で面接を受け、72年9月名古屋に赴いた。6か月間、1分20秒のスピードで流れるコンベアーの前に立ち続けた。ルポはこんな現場から生まれる。80歳を超える今も、弱者、少数者からの視点で書き続ける。最新刊が「反逆老人は死なず」。わが世代にエールを送ってくれる。

 そんなこともあり、集大成ともいうべき「声なき人々の戦後史」(藤原書店)を手にした。朝日新聞青森版に出河雅彦・青森総局長が14年3月から2年間、88回のインタビューを繰り返した。上下巻で分厚いが、藤原書店と聞いて納得する。社長は出版界の異端児とも呼ばれる70歳の藤原良雄。よい本は読者が知っていると、高価格少部数戦略を貫く。何か通じるものがあったのだろう。

 鎌田慧は前回のなかにし礼と同じ38年生まれ。アルマーニと古びたジャンパーの差はあるが、反骨は変わらない。青森・弘前高校で旧制中学の名残を残す自由な校風が鎌田の原点となっている。高卒後に上京、板橋の町工場に勤めるが3か月で退社。それでもお茶の水のアテネフランスに通っている。その後水道橋の中央謄写学院に見習いとして入社するが、大不況で企業閉鎖・全員解雇の洗礼を受けて、職場占拠闘争などで労働者の何たるかを学んだ。22歳の時に早稲田露文に入学を果たす。アルバイトで生協ニュースの編集をやって、花田清輝、勅使河原宏等の寄稿を依頼していく。そんなちょっとしたきっかけが人生を切り拓いていく。都電撤去問題をルポし、新日本文学に掲載できたのは花田の紹介である。団塊世代の使命はこのきっかけを作りだすことである。

 もうひとつ、突き付けられた。国鉄の民営分割の中での国労攻撃だが、鎌田は執拗に取材している。もしお前が国労にいたら、すさまじい差別攻勢に耐えられただろうか。国労のほとんどが全くの無能な人間という烙印を押され、人材活用センターなるプレハブの小さな部屋に押し込められ、仕事は与えられず、地に這いつくばらせ、哀願する労働者に仕立て上げていく。尊厳などむしり取られる。国鉄の赤字の原因は国労にあるというデマが流され続け、いつの間にか国民の多くがそう思い込まされた。

 戦後史の悲惨を引き受けてきたのは、声なき人々なのである。トヨタが世界のトヨタといい、JR東海がばかげたリニアに惜しげもなく金をぶち込むのも、その悲惨の犠牲が根底にあるからだ。

 そして、声なき人々に光を当てるルポライターの危機である。ノンフィクション作家の奥野修司との話で、ルポはとにかく時間がかかる、取材費も自弁となるととても苦しい。その上に雑誌が売れない時代となり、発表の場が少ない。若いライターが育っていないのだ。よいルポは読者が支える、高価格少部数。団塊老人よ、コロナに引き込もらず、書店で生きたカネを使うのだ。

© 2020 ゆずりは通信