年の暮れ、石垣りん

詩人・石垣りんは昨年12月26日亡くなった。享年84歳。年の暮れに、この詩人のありがたさを思う。打ちひしがれそうな心に、そっと潤いの水を与え、背筋を伸ばさせてくれる。「家」という詩がある。「半身不随の父が/四度目の妻に甘えてくらす/このやりきれない家/職のない弟と知能のおくれた義弟が私と共に住む家。/柱が折れそうになるほど/私の背中に重い家/はずみを失った乳房が壁土のようにおちそうな/略/私の渡す乏しい金額のなかから/自分たちの生涯の安定について計りあっている」。
 彼女は4歳で実母を失い、父は亡妻の妹と再婚するが、彼女も30歳で亡くなる。その翌年に新しく妻を迎え、7年暮らすが離婚。時をおかず、四度目の妻を迎える。そんな一家の家計を、高等小学校を終えたばかりの14歳で就職した日本興業銀行(現みずほ銀行)の給与で支えてきたのである。半身動けなくなった体でのろのろと這うように生き延びている老いた父親と、義理の娘に寄りかかり負ぶさって平気な義母への嫌悪を「夫婦というものの/ああ、何と顔をそむけたくなるうとましさ」といい、結婚はしなかった。
 また、学歴のない、底辺で働くサラリーウーマンでありながら、体制批判や自分の働く場への批判はしていない。そこからの給料で生活しているからだ。男でなくてよかった、エラクならないで済んだからだ。55歳の定年まで勤めあげている。女が働くこと、仕事をすることは、日々の生活のためで、昇進や権限や、権力、富の獲得のためではない。見えていたのである。就職も結婚も家庭も、生きるためのカタチであり、そんな擬制のカタチに依存していくしかない生活の本質を彼女の目は見抜いていた。
 なぜ、詩をかくのかという問いに、こう答えている。「長いこと働いてきて、人の下で、言われたことしかしてこなくてね。でも、ある時点から自分のことばが欲しかったんじゃないかな。何にも言えないけれど、これを言うときはどんな目に遭ってもいいって」。少女のような羞じらいを見せながら、どんな目に遭っていい、と。そんな詩なのである。
 詩をひとつ挙げるとすれば、やはり「表札」。自分の住む所には/自分の手で表札をかけるに限る。/精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/
それでよい。
 親友の詩人・茨木のり子がこの詩集を手にした時の様子を弔辞で詠んでいる。こちらの心臓を鷲づかみされたような、どきどき感がありました。「詩はこうでなくっちゃ」と思った日のことを鮮明に覚えています、と。
 50歳にして初めて、大田区南雪谷アパートでひとり暮らしをとなる。1DKだ。しかし誰もその部屋に入れなかった。贈られてくる詩集が捨てられなくていっぱいに積まれていたらしい。いつか強引に押しかけた人は、冷えたビールを持参していた。するとマンションの管理人室前のロビーに、コップを運んでもてなしたという。
 非常に傷つきやすい魂を持ちながら、これほど過酷な生を歩んでいるにもかかわらず、それらを根底からどんでん返しにする眼差しの力。恐れ入るしかない。へなちょこ自意識などに何で負けるのよ、と笑っている。
 これが最近の小泉純一郎になると困ってしまうのだ。靖国参拝、アメリカ追随、中国、韓国いずれわかってくれるでしょう。小泉純一郎。うん、それでいい。
参照・現代詩手帖特集版「石垣りん」(思潮社刊)

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