自民党総裁選。想像力の問題

やはり想像力が決め手だと思う。自民党の総裁選のドタバタを見ていての感想である。沈んでしまうまで気が付かない人もいる。また、まるでこれで事成れりと、地殻が動いたの、マグマが噴出したのという人もいるが、幻想は持たない方がいい。改革だ、出直しだ、と心底から思っているかどうか、だ。権力だけほしさに、改革だと叫びだす輩が多い。大衆がそれに乗った時、制御の効かないうねりとなっていく。そのうねりはその改革者を超えてしまい、ずうっと先に行ってしまう。うまく行き過ぎて、こんな筈ではない、改革といってもそこまでは考えていなかった、とうろたえ騒ぎ出す。そして必ず、一定の秩序が必要だ、一定の継続性も大事だといい出す。そうこうしているうちに改革派も旧守派もそろってひな壇に座っていたりする。悪知恵だけは冴えわたるというのがいる。日和見だけで権力についた人間には悪魔の声が、天からの救いの声に聞こえてくるらしい。挙げ句の果てに、混乱だけが残り、権力者の顔だけがすげ代わったに過ぎないこととなる。いやもっと悪くなるケースも多い。人間の真贋ほど見分けられないものはない。

さて自民党の4候補だが、似顔絵作家の山藤章二がこんな風に戯画化している。橋本=人を小ばかにしたようなスローカーブ。亀井=バッターをのけぞらせるビーンボール。小泉=打たれても構わないとそれしか投げない監督泣かせのストレートボール。麻生=行く先はボールに聞けというノーコンのフォークボール。凡人、変人、奇人もよかったが、これもなかなかにいい当てている。

真贋をいつも見誤っている小生の月旦はといえば、こんな風になる。橋本=絶対に一緒に仕事をしたくないタイプ。声を聞いただけで虫ずが走る。馬鹿が利口ぶっていて、すぐ威張り出す。もうどうにもならない。こちらが逃げるしかない。亀井=意外としやすいタイプ。これほどあっけらかんと名利を求める単純さがいい。警察官僚上がりながら、許永中と無警戒に無防備に付き合うのも、小心なお公家政治家よりまし。話せばわかる浪花節的なところは自民党らしい。金のスキャンダルに堪えられるかどうか。小泉=真贋いずれか迷うところ。郵政民営化だけだが判断力は意外にあるし、言語感覚も4人の中ではいい方だ。クラシック好きにありがちな潔癖症、引きこもりが意外と落とし穴に。新進党細川政権に似ていくのかな、と。女性スキャンダルもさらりと受け流せるかどうか。麻生=元日本青年会議所会頭、吉田茂の孫、鈴木善幸の娘が嫁さん、口調が取って付けたべらんめえ調。リーダーとしてはいただけない。書画骨董の世界で、という感じ。

ここは参院選まで、高見の見物を決め込むのも悪くはない、と思っている。なにしろ自民党というコップの中の嵐に過ぎないのだから。

やはり庶民は、次の詩が一番。

「倚りかからず」
茨木のり子
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない
ながく生きて
心底学んだのはそれくらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは背もたれだけ

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