司法改革へ。法的センスを身に付けよう

人生50年余り生きてきて、まだ弁護士にお世話になったことがない。これは幸せというべきかどうか。単に権利意識に乏しく、泣き寝入りを余儀なくされていたに過ぎないかもしれないからだ。しかしこれからはそうはいかない。弱肉強食の競争社会が始まる。否応なく、だ。好き嫌いをいっているわけにはいかない。それは動物園の中で生きていたのが、急にサファリで生きていけと放り出されるようなもの。小泉改革の現実である。たえず周囲に目を配り、自衛のための牙を磨き、をまとっていなければならない。その牙であり、鎧が「法律」ということになる。規制緩和が法廷闘争を激増させるからだ。そうした状況を想定して、動き出したのが司法制度改革。1999年7月、その審議会が始動した。そしてこの6月に意見書が提出された。これにより政府は3年以内に法整備して、裁判官、検察官、弁護士の法曹人口が現在の3倍近い5万人規模に膨れあがることになる。そして質的にも大いに変わることになる。

法廷での迅速な決着をのぞみ、国際的にも米欧の弁護士と果敢に闘ってほしいという経営者の思惑。政治行政にとっても、従順な審判を求めようとする政治家の思惑。そうした中で、本当の国民のための司法改革となるのかどうか。あなたもわたしももっと注視する必要がある。

98年8月の日弁連合宿で、中坊公平当時日弁連会長は訴えた。「もう外堀は埋められている。われわれの少数意見をどう道理を持って説いていくかだ。苦悩している。しかし、自分の身を切らずに、他人にどうして改革が迫れますか」。日弁連は法曹増員に反対していた。「弁護士の平均年収は1500万円で、これ以上人数が増えたら経営的に成り立たない」と詰め寄る場面も。弁護士といえどもはたで見るほど楽ではなさそうだ。でもここは中坊の熱誠が押し切り、大幅増員と法科大学院(ロースクール)などの構想が動き出すことになった。とりわけ法曹一元化への改革は大きい。これは弁護士が一定期間の弁護士経験を経て、裁判官に任用される制度。裁判官はその閉鎖密室の中で、窒息しそうな官僚制でがんじがらめにされているらしい。福岡地検次席検事の秘密漏洩、東京高裁判事の買春事件はやはり起きるべきして起こっている。サラリーマン同様、僻地勤務をたらい回しされたり、給与でもひどい差別があったりと、とてもあの裁判官の世界にして、というのがあるらしい。一握りの司法官僚が暗躍しているのである。これでは公正な判決を望む方が無理である。裁判官に本当の自由と独立があれば、日本社会がこれほど官僚化し、悪くはならなかったろうといわれる。

そして公費による被疑者弁護の制度化もぜひ実現してほしい。もしあなたが誤って警察に逮捕されたら、最初にどうすべきか。とても、ひとりでは立ち向かえない。まず「当番弁護士を呼んでくれ」が正解。これはしかも、無料だ。弁護士会という職能団体の心意気のボランティアである。しかしお金がないと続けてやってもらえるかどうか分からない。

国選弁護人という制度はあるが、これは検察官が犯人として起訴し、被告人となって初めて適用される。被疑者では無理なのである。日本では起訴されると99.9%有罪判決を受ける。そうすると被疑者の段階で、どれだけ公正さが保たれるかどうかが最も大事ということになる。この段階で弁護士をつけるのが冤罪を防ぐ最良の手立て。しかも貧富の差がますます開くということになれば公費負担は欠かせない。

そんなこんなでしばらくは、司法改革の動きから目を離さないでおきましょう。

次回も司法でいい足りないことを続けます。

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