「光の雨」と「坂口弘歌稿」

わが胸にリンチに死にし友らいて雪折れの枝叫び居るなり
刺さざりし奴が居りぬと叫ぶ声吾のことかと
立ちみおり
今宵われ死囚となりてまばたきの音あざあざと床に聴きおり

いつか読もうと思って積んでいると、映画化の方が先んじてしまった。立松和平の「光の雨」。連合赤軍事件がテーマ。立松は自らの世代が犯したこの悲惨な事件を書き抜くことが自分の責任と思いつめ、なぜ、なぜ、の疑問を絶えず去来させながら書き綴った。400字詰め原稿用紙で1000枚。人間の解放を目指す革命集団が、その理想とは裏腹に、人間をずたずた、ぼろぼろにしていく。遂には革命を誓い合った同志で殺し合う集団に変わり果て、凄惨なリンチで14名の若者が命を奪われた。本も映画も、この「なぜ」に挑んだ困難な作品だ。

本には手が出ず、映画を先に見ることになった。池袋の新文芸座。新しいビルの4階。一昨年の12月にオープンとある。学生時代は「唐獅子牡丹」を見せてもらった。いわば全共闘世代に焦点をあてた映画上映館であった。小さなパンフに「オンリー1の映画館を目指して再出発」とあり、アジア映画特集を訴えている。館主の心意気がいまだ健在。周りを改めて見まわすとほぼわが世代が中心で、いかにも映画が好きという若者がちらほらという感じだ。

1969年1月。東大安田講堂の封鎖が、圧倒的な機動隊の力で解除された。それがピークで全共闘運動が退潮期にはいっていく。そもそも展望を持つことも不純だとする運動理論だ。自己のありようを否定してみることで、何かしら大きな解放感があったことは事実である。稚拙で堂々巡りする議論は、より先鋭過激な政治軍事闘争というよりも「革命ごっこ」に傾いていく。権力の暴力装置に対抗しようと、武器強奪に、銀行ギャングまがいの資金強奪が真面目に語られ、実行された。当然に強い革命戦士が必要になる。生真面目な集団は、革命戦士で純化された革命党を目指すことになる。そのための総括ごっこだ。弱い自分をさらけ出していく自己批判。それを受けての総括。自分だけでは総括が手ぬるいと総括補助というリンチが加わっていく。厳寒の地で白樺の木に括り付けられ、あるいはナイフで切りつけられる。地獄の凄惨さである。そして72年の浅間山荘事件につづく。見ていて気持ちのいい映画ではない。見終わって、ほとんどが背を丸くして館をあとにする。そしてふと思い出したのが本棚の隅にある「坂口弘 歌稿」。彼はこの事件の全体に関わっている。殺人16、殺人未遂17を含む55の訴因で死刑が確定している。その彼が短歌にその心情を吐露することを見つけた。冒頭に掲出した3首がそうである。ためらい、抗いながらもそうさせてしまうもの。これだけは学習しておかねばならない。お互いが生きていくために、組織の持つ異様な、惨劇へと突き進む邪悪なエネルギーに、いかに対処していくのかを考え、その奔流から身をかわす術を何が何でも身につけなければなるまい。

閉ざされた組織の病理現象。囲い込み症候群。いつのまにか身動きが取れず、異議を唱えることさえ許されないような雰囲気に支配されていく。野間宏が描いた日本軍の「真空地帯」、近いところではオウム真理教カルト集団などなど。しかしあなたの近くの会社、学校、地域にでもその兆しは見て取れるはずだ。家族だって、夫婦だって組織なのだからこの病理現象から逃れることは出来ない。

さてどうする。この病理現象に負けない「個」が生き返る組織は果たしてあるのか。

新年早々重たい話になってしまって申し訳ない。

わが初夢。南海の孤島をこのほど買い取ったのである。生きるすべての人が幸福になれる。各人の持っている能力が100パーセント発揮でき、富の分配はあくまで公平で、職業の違いはあっても上下関係はない。人と人の間に争いがないから、戦争なども存在しない。もちろん完全なる男女共同参画社会。そして何よりも性の解放区KOUDAワールド。人口は100人限定。男女半々。但し、入島料1億円なのだ。

参考図書
「光の雨」
新潮社1900円
「坂口弘歌稿」朝日新聞社1600円
「囲い込み症候群」
ちくま新書680円

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